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右衛門尉
「右衛門尉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
右衛門尉の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
頼むと、侍は更に彼女の顔を睨むように見て、すぐに内へ引っ返して行った。 「あれは
右衛門尉成景《うえもんのじょうなりかげ》というお人じゃ」と、千枝太郎は彼のうしろ....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
し。朝倉殿には遠州勢を防ぎ給はり候ふべしと定めて陣替の仕度をぞ急がれける。遠藤喜
右衛門尉は、兼て軍のあらん時敵陣へ紛れ入り、信長を窺ひ撃たんと思ひしかば、朋輩の....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
北畠信雄は稲葉一徹属して御堂山に、夫々陣を布いた。更に川上村茶臼山には、佐久間|
右衛門尉信盛、池田庄三郎信輝、滝川左近将監一益、丹羽長秀なんぞの勇将が控え、以上....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
向った。先陣羽柴秀政。二陣柴田伊賀守の勢。三陣木村|小隼人、木下将監。四陣前野荘
右衛門尉、一柳市助直盛。五陣生駒甚助政勝、小寺官兵衛|孝隆、木下勘解由左衛門尉、....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
正、山県三郎兵衛、高坂弾正、小山田弥三郎、甘利三衛尉、栗原左兵衛、今福浄閑、土屋
右衛門尉、秋山伯耆守、原隼人佐、小山田備中守、跡部大炊介、小宮山丹後、すなわち御....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
持《ふち》等随意たるべきことという許しは与えられた。小田原の城中に居た佐久間|久
右衛門尉《きゅうえもんのじょう》は柴田勝家の甥であった。同じく其弟の源六は佐々《....
「江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
中を荒らしたので、難儀の趣を訴えて、昼夜の見廻りが出来、その大取締が庄内の酒井左
右衛門尉で、今の警視総監という処なのです。このポリスが出来るまでは、江戸中は無警....
「五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
忙しいぞ忙しいぞ!」徳善院は退出した。 × 石田治部少輔、益田
右衛門尉、この二人が奉行となった。 「さる程に両人承て人々をえらび、茶ノ湯を心掛....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
、加勢として武田信玄が出馬してきた。信玄の率いる勢は馬場美濃守、内藤修理亮、土屋
右衛門尉、横山備中守、金丸伊賀守ら二万余騎である。両旗の軍勢合わせて五万六千は、....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
たのも束の間で、元亨・正中より嘉暦に渉ってさらにその乱相つぎ、幕府は嘉暦元年工藤
右衛門尉祐貞を蝦夷追罰使として進発せしめ、翌年さらに宇都宮五郎高貞・小田尾張権守....
「法然行伝」より 著者:中里介山
日から法然は草庵にとじ籠って何れから招かるるも出て行かなかった。その時、兼実は藤
右衛門尉重経《とううえもんのじょうしげつね》を使として法然に、 「浄土の法門年頃....