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「吉次〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

吉次の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
酒中日記」より 著者:国木田独歩
《やぼてん》だったろう。 浜を誰か唸《うな》って通る。あの節廻《ふしまわ》しは吉次《きちじ》だ。彼奴《きゃつ》声は全たく美《い》いよ。 五月十日 外から帰....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
恐れられているかも知れない、と思われるような人間がこの村に棲んでいた。彼は本名を吉次郎というのであるが、一般の人のあいだにはその渾名の蛇吉をもって知られていた。....
単独行」より 著者:加藤文太郎
尺くらいで、温度は最低摂氏氷点下十三度くらいだという。上高地温泉には下赤松の奥原吉次郎という爺さんが番をしていた。この爺さんは上高地に雪が降りだし、人々が山を下....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
葉を通って植木へ、別軍(近衛三中隊鎮台兵三中隊、山砲二、臼砲一)は高瀬から伊倉、吉次越を越して熊本を目指すこととなった。官軍の追撃急であり、若しこの一戦に破れれ....
神秘昆虫館」より 著者:国枝史郎
れというのも大切な雄蝶を、お盗まれになってからでございましょうね」片足の男の名は吉次《きちじ》であり、そうして美女の名は桔梗《ききょう》様であり、その関係は主従....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
五郎、寒風沢《さぶさわ》の左太夫、銀三郎、民之助、左平、津太夫、小竹浜の茂七郎、吉次郎、石浜の辰蔵、源谷室浜の儀兵衛、太十ら十六人、江戸へ向けての材木と、穀物千....
置土産」より 著者:国木田独歩
毎晩のようにこの置座に集まり来る者二、三人はあり、その一人は八幡宮神主の忰一人は吉次とて油の小売り小まめにかせぎ親もなく女房もない気楽者その他にもちょいちょい顔....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
郎頭巾を被ったまゝで、後に提灯を提げて立って居ります御家来を見返って、 侍「これ吉次、少々明神下に買物があるから、遅くなるかも知れんから先へ帰って、旦那様は後か....
魚妖」より 著者:岡本綺堂
話をはじめたのです。」 有年の叔父は吉助というのであるが、屋敷を飛び出してから吉次郎と呼んでいた。かれは左官屋になるまでに所々をながれあるいて、いろいろのこと....
南国太平記」より 著者:直木三十五
死するとも亡き魂は 千代|朝廷辺《みかどべ》を守り奉らむ 水戸浪士 三岡源次郎吉次 と、書いて 「これでよい」 と、云って、筆を置いた。 「清川八郎でも、....
文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
を出まして平泉に行きますときに、牛若丸を平泉まで伴れて行ってやったというあの金売吉次の父親も、宮城県栗原郡高清水附近の産で、高清水近辺から沢山の自然金を持って京....
京鹿子娘道成寺」より 著者:酒井嘉七
たのは、もとより、歌舞伎芝居が好きであり、 瀬川菊之丞 芳澤いろは 嵐雛助 瀬川吉次 名見崎東三郎 岩井半四郎 と申しますように、ずらりと並んだ、江戸名代役者の....
おせん」より 著者:邦枝完二
られるのが却てきまり悪く、時にはわざと背中合せにすわる場合もままあったが、さて、吉次はやがて舞台に出て、子役としての評判が次第に高くなった時分から、王子を去った....
越中劍岳先登記」より 著者:柴崎芳太郎
人夫 同郡同村 宮本金作(三五) 人夫 同郡福沢村 南川吉次郎(二四) 人夫 氏名不詳 の四名を引率して登山の途に....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
たのであったが、幼少の時にその父は安東勢と戦って討死したので、乳母に抱かれて身を吉次信吉というものに委ね、ついに炭焼にまでなり下ってそれで炭焼藤太と呼ばれ、後に....