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同一性
「同一性〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
同一性の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「読書法」より 著者:戸坂潤
それは主に雑誌『唯物論研究』で発表した弁証法の諸研究(認識論・論理学・弁証法・の
同一性に関するもの)を見ても判る。 で以上述べた同氏の三つの特徴がこの書物の内....
「あめんちあ」より 著者:富ノ沢麟太郎
くも彼自身を見失ってしまった。 ――――― お柳が現れた。――あの女と全き「
同一性」を持ったお柳は、忽然《こつぜん》として彼の目前を過ぎて行った。――お柳が....
「科学論」より 著者:戸坂潤
必ずしも「技術の役割」と一つではない。 と云うのは、自然科学は技術学と本質上の
同一性を有っている。云うまでもなく両者は技術を離れては成り立たなかった。処がこの....
「技術の哲学」より 著者:戸坂潤
件に同じだと云おうとは思わない。二つのものの区別を与えることは、二つの間の一定の
同一性を承認した上でならば、絶対に必要である。F・シミアンは二つの場合の実験が同....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
の場合の論理は、観念に就いての観念の把捉形式の外ではない。論理は論理・観念の自己
同一性なのである。――唯物論は弁証法的論理を、観念論は形式的論理を、決定する。 ....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
識の固有原則は、このようなブルジョア民主主義的な(そしてそこでは社会人の抽象的な
同一性・平等が機械論的に設定されている)常識概念からは決して出て来ない。
こう....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
ーゲルの弁証法自身が好く知っている処である。概念の自己独立性はその形式論理的自己
同一性にこそ存する、之はその運動・展開――弁証法――にこの自己独立性が存すること....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
はなくて、実は主観が客観からの分枝・派生物・であるが故に、存在上或る意味に於ける
同一性が二つのものの間になければならぬのであり、而も観念・意識・は恰もそういう存....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
ば文学と科学との一種の平行関係に気付かざるを得ない。二つのものの間には元来一種の
同一性・共軛関係があるのである。一方のものに関する法則は、適当な変更の下に、他方....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
的なものとの区別はどこにあるか。人によっては、日本文化とギリシア文化との本質的な
同一性とは云わないまでも、日本文化のギリシア的特徴を好んで指摘する(例、和辻哲郎....
「辞典」より 著者:戸坂潤
区別は寧ろ今云った点から派生するものである。報道と広告とのニューズとしての差別と
同一性は、之を云い表わす各種の言葉の内にも現われている。Intelligenz,....
「偶然の産んだ駄洒落」より 著者:九鬼周造
とアナゴを間違えたといおうとするとうまく口が廻らないで多少の努力を要する。前者は
同一性の基礎に質的関係を予想しているためであろう。....
「性格としての空間」より 著者:戸坂潤
る概念は之とは全く性質を異にしているのである。何となれば人々の概念は結局、判断と
同一性格であるからして、判断の性格を失うことは出来ない。それは判断として他に対す....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
もので、邦語のヌサすなわち幣束を表わす語をそのまま輸入しているのによっても、その
同一性質のものであることが知られる。内地で今日ふつうに行われている幣束は、細く切....
「再び「科学の歴史的社会的制約」に就いて」より 著者:戸坂潤
、それは全く抽象的な同一哲学的主張であり、正に具象的な弁証法の断念である。かかる
同一性にも拘らず、その内に人々は事実上の相違を決定して行かねば分析ではない。尤も....