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同朋
「同朋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
同朋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
一
天保《てんぽう》二年九月のある午前である。神田
同朋町《かんだどうぼうちょう》の銭湯松の湯では、朝から相変らず客が多かった。式亭....
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
ませんから止める。と事を分けての話に文治も大《おおい》に悦んで、帰り掛けに柳橋の
同朋町《どうぼうちょう》に居るお村の母親お崎|婆《ばゞあ》の所へ参りました。 ....
「ヰタ・セクスアリス」より 著者:森鴎外
あった。そこへ卒業生一同で教授を請待《しょうだい》した。 数寄屋《すきや》町、
同朋町《どうぼうちょう》の芸者やお酌が大勢来た。宴会で芸者を見たのはこれが始であ....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
。 この他槍奉行、旗奉行、御蔵奉行、御料人様衆、御小姓衆、御しょう堂様衆、御|
同朋衆、御使者番、御右筆衆、御伽衆、御茶堂衆に至るまで、その数およそ五百人、座を....
「東京八景」より 著者:太宰治
東京の一隅にはじめて家を持った時の、私の姿だ。 そのとしの夏に移転した。神田・
同朋町。さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべ....
「十五年間」より 著者:太宰治
のまわりの品を都合するというような有様であった。戸塚。本所。鎌倉の病室。五反田。
同朋町。和泉町。柏木。新富町。八丁堀。白金三光町。この白金三光町の大きな空家の、....
「ビジテリアン大祭」より 著者:宮沢賢治
ら、もう私たちは国と階級、職業とその名とをとわず、ただ一つの大きなビジテリアンの
同朋《どうぼう》として、「お早う、」と挨拶《あいさつ》し「おめでとう、」と答えた....
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
となりにあった、雑賀屋《さいがや》と申した小間物問屋の後家なのだ。いまは、 下谷
同朋町《したやどうぼうちょう》の拝領|町屋《まちや》に、女だけの住まいをかまえて....
「親鸞」より 著者:三木清
象的な普遍ではなく、自己のうちに特殊性をそのままに含む具体的な普遍となる。それは
同朋同行によって地上に建設されてゆく仏国にほかならない。 『末燈鈔』に収められ....
「我が円朝研究」より 著者:正岡容
よ、「妻子の事」の章に、 「圓朝は(中略)不図した事から御徒町の倉岡元庵というお
同朋の娘お里との間に一子を挙ぐるような間柄になった」 云々とある。 このお里....
「早耳三次捕物聞書」より 著者:林不忘
ところだった。駕籠の底が土を離れると、三次は猫のように音もなく二人の跡を踏んだ。
同朋町《どうぼうちょう》から金沢町、夜眼にも光る霙のなかを駕籠は御成街道《おなり....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
へ押し出したのであった。 同勢二十四、五人、わいわい言いながら笠森稲荷の前から
同朋町《どうぼうちょう》は水野|大監物《だいけんもつ》の上屋敷を通って、田町の往....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
院または礼拝堂を設けず。いずれの所なりとも、同派の信徒の相会する席を定め、これを
同朋集会所と称す。その席には礼壇を設けず、楽器を置かず、説教座もなく、ただ数脚の....
「法然行伝」より 著者:中里介山
房心寂も、元叡空の弟子であったが、後には法然を師として一向専修の行者となったが、
同朋同行の多い処では煩いが多いから、誰れも知らない処へ行って静かに念仏をしようと....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
ン底に沈淪した最下層民たる餌取法師、非人法師の徒をも疎外することなく、いわゆる御
同朋御同行として、世間から最も罪業深いものと認められた、かの屠者の輩をまでも済度....