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「名分〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

名分の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
を借りて、私欲を欲しいままにしようという狐どもじゃ。そういう連中の振りかざす大義名分に恐じ怖れて、徳川御宗家を見捨てるという法があろうか。御先祖頼重公が高松に封....
乱世」より 著者:菊池寛
行の小森九右衛門、山本主馬などが恭順論を主張した。彼らは天下の大勢を説き、順逆の名分を力説して、この際一日も早く朝威に帰順するのが得策であるというのであった。 ....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
利元就が主君の為めに、陶晴賢を誅した事になっているが、秀吉の山崎合戦のように大義名分的なものではないのである。兎に角元就は、一度は陶に味方をしてその悪業を見遁し....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
対して、底装式、スナイドル銃と云うのを持って居た。兵力兵器に於て差があり、官賊の名分また如何ともしがたいのだから、薩軍の不利は最初から明白であったが、しかし当時....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
は頗る問題となるから、それより秀吉の言の如く、嫡孫の三法師殿を立てるのが一番大義名分に応って居るように思われる。其上、今度主君の仇を討った功労者は、秀吉である、....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
喜多直家以下沢山いるし、親兄第も、邪魔になると殺しかねない時代であるから、それが名分上の非常な損になるとは思わなかったかも知れない。 とにかく光秀は、私憤を晴....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
た市街戦である。 一種の私闘の如きものであるが、彼等にもその兵を動かす以上は、名分が必要であったらしい。周到な勝元は早くも幕府に参候し、義政に請うて宗全追討の....
反戦文学論」より 著者:黒島伝治
方が少く、他方が多いのを理由に又、奪い合いしたらどうであろう。如何に少い方が大義名分を立てゝその行為を飾ろうとも、実質が泥棒であることに変りはない。 又、三人....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
のだ。 それでは彼の胸裡の疑団とはどんなものであったか。 第一には何故正しく、名分あるものが落魄して、不義にして、名正しからざるものが栄えて権をとるかというこ....
貞操問答」より 著者:菊池寛
見せて頂きたいの。ねえ、南條さん! 私の申し上げることが、無理かしら。」 まず名分論で、新子をさんざん痛めつけた上、今度は実際論で、新子を窮境に追い込もうとい....
血曼陀羅紙帳武士」より 著者:国枝史郎
行って、無心したらしい。又兵衛の方は、わけても人物で、仁義なども心得ており、大義名分などにも明らかで、王道を尊び、覇道を憎む議論などを、堂々と述べて、男らしいと....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
人の門弟があずかった。まず大弐と右門とであるが、江戸の地へ出て塾をひらいて、大義名分尊王|抑覇の、堂々とした学説を立てて、兵学を論ずるにあたっては、諸国の城地を....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
る御館藤原氏が、院宣を奉じて頼朝の背後を窺うのに対して、これを討伐すべき適当なる名分を得んがためで、今一つには京都なる中央政府以外において、別に鎌倉に一新政府を....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
、決して官軍と蝦夷とが相対して戦争したのみではありません。蝦夷の中にもつとに大義名分をわきまえ、官軍に属しているのが多かったのであります。しかし彼らの中には未だ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
できたし、それに結びついた定家の一党が、歌界においても勢力を張りえたのであった。名分の上からいうと、後鳥羽・土御門・順徳・後醍醐四帝を流し奉った北条氏が日本歴史....