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后
「后〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
后の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
ん》から天狗《てんぐ》が渡ったと書いてありますのは、丁度あの染殿《そめどの》の御
后《おきさき》に鬼が憑《つ》いたなどと申します通り、この沙門の事を譬《たと》えて....
「首が落ちた話」より 著者:芥川竜之介
紅梅が時々|支那《しな》めいた匂を送って来る。
二人の間の話題は、しばらく西太
后《せいたいこう》で持ち切っていたが、やがてそれが一転して日清《にっしん》戦争当....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家《せんどうか》の雄弁である。武
后《ぶこう》は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躙《じゅうりん》した。しかし李敬業《り....
「白金之絵図」より 著者:泉鏡花
が映って美しい。 老人転倒せまい事か。――やあ、緑青色の夥間に恥じよ、染殿の御
后を垣間見た、天狗が通力を失って、羽の折れた鵄となって都大路にふたふたと羽搏った....
「燕と王子」より 著者:有島武郎
んやさしい王子であったのが、まだ年のわかいうちに病気でなくなられたので、王様と皇
后がたいそう悲しまれて青銅の上に金の延べ板をかぶせてその立像を造り記念のために町....
「友人」より 著者:上村松園
町、清少納言、紫式部、亀遊、税所敦子――そのほかいくらでもある。 楊貴妃、西太
后……数えればきりがない。 心の友は永久に別れることのない友である。 私は友....
「不周山」より 著者:井上紅梅
ああ、天は喪を降されました」その一つがいとも悲しそうにいった。「※道ならず、我が
后に抗し、我が
后は自らこれに天罰を加えるために、郊で戦われたが、天は徳を祐けず、....
「あゝ二十年」より 著者:上村松園
れた英国皇太子コンノート殿下の御買上げを得た時のことを思い合わせまして、今度皇太
后陛下にお納め申し上げました三幅対「雪月花図」とは、今日までの私の長い画家生活中....
「画道と女性」より 著者:上村松園
ました。それをお受けしたのは昨年の九月頃であったろうか。最初の気持では、今の皇太
后陛下が皇
后宮に居られた頃に御下命を承った雪月花三幅対の図がすでに小下図を差し上....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
今夏は、私は誠にすがすがしい心持でおります。と申しますのは、この六月、皇太
后陛下御下命の御用画の三幅双を完成いたしまして、折りから、京都行啓中の陛下に、目....
「無表情の表情」より 著者:上村松園
す稽古に励むつもりでいますし、また人にも説くこともあります。 私はこの頃、皇太
后陛下の思召によります三幅対の制作に一心不乱になっております。これは今から二十一....
「迷信解」より 著者:井上円了
徳神は南海の沙竭羅竜王の御娘にして天下第一の美人なるゆえに、牛頭天王これをうけて
后としたてまつり、八人の王子を産みたまえり。その王子が八将神であるというがごとき....
「私の仕事 松篁の仕事」より 著者:上村松園
二十年来の画債整理と、皇
后陛下よりの御用命に依り、双幅藤原時代美人数名の揮亳完成を期するために、今度は是....
「大利根の大物釣」より 著者:石井研堂
、大|生担、餌入れ岡持など提げ、日暮里停車場より出て立つ。時は、八月の二十八日午
后二時という、炎暑真中の時刻なりし。 前回の出遊には、天気思わしからず、餌は、....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
なく宮中に残った数千人のものは日本軍に依って食を与えられた。宮中には光緒帝も西太
后も西巡していて恵妃(同治帝の妃)のみが国璽を守っていたが、柴大人に使を派して謝....