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后宮
「后宮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
后宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
公からの御沙汰があった。 ところが出仕してみると華族池田茂政、前田|利鬯、皇太
后宮亮林直康氏等が来て居られて、色々とお話の末、池田、前田両氏が親しく翁を召され....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
禁獄したが容易に裁判済まず。かれこれするうち賊あり、私《ひそ》かに長摩納に向い、
后宮へ出入するは王と后と汝三人に限るが、そのほかに
后宮内を歩き廻る者がないかと尋....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
抱いて立ち上りました。 九 弁信の喋《しゃべ》った通り、平皇
后宮亮経正《たいらのこうごうのみやのすけつねまさ》は、竹生島《ちくぶしま》で琵琶....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
》として輝くのは、旭日《あさひ》に映る白菊の、清香|芳《かん》ばしき明治大帝の皇
后宮、美子《はるこ》陛下のあれせられたことである。 陛下は稀《まれ》に見る美人....
「水の女」より 著者:折口信夫
喚上げき。(垂仁記) 唯、妾死すとも、天皇の恩を忘れ敢へじ。願はくは、妾の掌れる
后宮の事、宜しく好仇に授け給ふべし。丹波国に五婦人あり。志|並に貞潔なり。是、丹....
「台湾の姿態」より 著者:豊島与志雄
な様式の神社が建てられている。だが、それらは余りに簡素で高潔である。――一方、天
后宮や城隍廟の狭い境域には、卑俗な偶像が立並び、物売り店があり、本島人の貧しい人....
「北京・青島・村落」より 著者:豊島与志雄
性となる。ドイツがこれを建設した当時、土民の乞いによって残されたという旧衙門と天
后宮とだけが、旧支那式建設であって、他は悉く近代建築である。風光の美もそれに加わ....
「ピンカンウーリの阿媽」より 著者:豊島与志雄
競馬場やゴルフ場……若いハイカラな近代都市である。 だがこの都市にも、衙門や天
后宮のような旧支那式建築が残っており、ピンカンウーリ(平康五里)の特殊な高楼があ....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
彼にならんで名人菊五郎のあることも知った。 「勧進帳」その他が、明治天皇陛下、皇
后宮《あきのみや》、皇太后の宮と、天覧につづき台覧《たいらん》になったことは、劇....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
です」とおっしゃいましたが、間もなくなくなっておしまいになりました。もと英照皇太
后宮にお仕えした方で、山県公の眷顧を受けられ、その詠み口がお気に入っていたと聞き....
「荘子」より 著者:岡本かの子
ている噂を秦王に聞かせるものがあった。で、間もなく母にも死に訣れた麗姫は引取られ
后宮に入れて育てられた。いずれ王の第二の夫人にも取立てられる有力な寵姫になるだろ....
「画道と女性」より 著者:上村松園
れをお受けしたのは昨年の九月頃であったろうか。最初の気持では、今の皇太后陛下が皇
后宮に居られた頃に御下命を承った雪月花三幅対の図がすでに小下図を差し上げて御内覧....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
ほどこし、そのまま献上いたすわけでございます。 最初の御前揮毫の節に、当時の皇
后宮太夫三室戸伯爵を通じて、改めて二幅双か、三幅双の揮毫を、上納申し上げるように....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
少は存している。『古事談』に、 俊明卿(宇治大納言隆国三男、大納言民部卿皇大皇
后宮大夫源俊明、永久二年薨)造仏之時、箔料ニトテ清衡令。 とある。これは俊明が特....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
方で三位以上になれば別に官職はなくても公卿に算えられるわけで、俊成も正三位|皇太
后宮大夫まで登ったのだから、最後には公卿に列したには違いないのだが、こういうのは....