周年[語句情報] » 周年

「周年〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

周年の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
く。 ◯昌彦少し具合わるし、昨日よりなり。 八月六日 ◯広島へ原子爆弾投下の一周年なり。昨年を思い、この一年間を偲び感慨尽きず。 ◯昌彦、心臓を苦しがる、村上....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
わゆる懐旧の情に堪えなかった。それと同時に、今更のように思い浮かんだのは震災十四周年の当日である。 「あしたは九月一日だ。」 その前日に、その当時の形見ともい....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
国|御用掛の交代に、江戸城を中心にした交易大評定のうわさに、震災後めぐって来た一周年を迎えた江戸の市民は毎日のように何かの出来事を待ち受けるかのようでもある。 ....
正義と微笑」より 著者:太宰治
さま、僕たち一家をまもって下さい。僕は勉強します。 あしたは、姉さんの結婚満一周年記念日だそうだ。兄さんと相談して、何か贈り物をしようと思う。 四月二十八日....
新世帯」より 著者:徳田秋声
作の頬は氷のように冷たかった。 * * * 「開業三周年を祝して……」と新吉の店に菰冠りが積み上げられた、その秋の末、お作はまた身重になった。....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
けて居た余作君の結婚が済んだ事を報じてよこした。其秋の九月二十六日は雨だった。一周年前彼等が斗満に着いた其|翌日も雨だった。彼はこんな出たらめを翁に書き送った。....
二、〇〇〇年戦争」より 著者:海野十三
に、日夜労働を強いられているというわけだった。 実は、今日は、イネ国滅亡の三十周年に当るのであった。滅亡の日の当時の生残イネ人の間に、その後生れ出でた子供たち....
書簡(Ⅱ)」より 著者:寺田寅彦
拝復。始終『アララギ』を送って頂いておりながらほんの時々しか読んでいないので甚だすまない気がしております。今度二十五周年記念号を出すので何か書くようとの懇篤な御すすめがありましたので何かと考えてみ....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
、私は何かしてこの機会に謝恩の微意を表したくなった。そして思いついたのが開業満五周年記念として、一割引の特待券を進呈することであった。割引券も上品に美術的にと意....
S夫人への手紙」より 著者:岸田国士
思い、すこし大きく手をひろげてみましよう。 それはこの月がちようど新憲法実施一周年にあたるところからも、私の注意は、国の制度と社会生活の実態との関係に向けられ....
砂子屋」より 著者:太宰治
書房を展開せられて、もう五周年記念日を迎えられる由、おめでとう存じます。書房主山崎剛平氏は、私でさえ、ひそ....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
会出品(二等銀牌三席)「母子」巴里万国博出品(銅牌)「婦女惜別」新古美術展創立十周年回顧展出品(二等銀牌) 同 三十四年 「園裡春浅」新古美術品展出品(一等褒状....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
大劇場は歌舞伎座をはじめ、皆そのような不況に陥り、歌舞伎座のごときは創立十五周年という名のもとに、十一月、特に値安興行をこころみるような始末であったが、その....
「はつ恋」解説」より 著者:神西清
ツルゲーネフは一八八三年の夏、パリの郊外で亡くなりました。その死後やがて七十周年になるわけです。 (一九五二年晩秋)....
」より 著者:織田作之助
まで客は拾えないし、それにその日雨天のため花火は揚らなかったが、飛田遊廓創立二十周年記念日のことであるし、何んぞえゝことあるやろと登楼をすゝめた。勿論断ったが、....