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「和名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

和名の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
自叙伝」より 著者:大杉栄
どこかへ売ってしまった。 僕はこの植物園の中を、小さな白い板のラテン語の学名や和名などを読みながら、歩き暮した。そして絶えず今までの生活を顧みながら考えていた....
食魔」より 著者:岡本かの子
菊萵苣と和名はついているが、原名のアンディーヴと呼ぶ方が食通の間には通りがよいようである....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
れを奇としたが、その夜蘭軒詩を閲してまたこの花に逢ったといってある。そして石蒜は和名したまがり、死人花、幽霊花の方言があって、邦人に忌まれている。しかし英国人は....
唇草」より 著者:岡本かの子
今年の夏の草花にカルセオラリヤが流行りそうだ。だいぶ諸方に見え出している。この間花屋で買うとき、試しに和名を訊ねて見たら、 「わたしどもでは唇草といってますね、どうせ出鱈目でしょうが....
知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
り大宮郷というここの称えも出で来りしなるべく、古くは中村郷といいしとおぼしく、『和名抄』に見えたるそのとなえ今も大宮の内の小名に残れりという。この祠の祭の行わる....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
|美守村というのが出来ている。これらの「美守」の文字は明らかに「夷守」の誤りで、和名抄に夷守郷というのがそれである。それが果して今の新井町の美守に当るか、或いは....
くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
てみても、蝦蟆の類にタニグクまたはククの名あることを知らぬ。 ことに蟾蜍には、和名抄・本草和名・新撰字鏡・伊呂波字類抄以下、すべて比支(或いは比支加閇留)と訓....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
られるに至った。そして特に炭焼はその仙人と或る縁を持って伝えられていたのである。和名抄に、 炭蒋魴切韻云、炭、樹木以之。仙人厳青造也。 とあるのは、炭焼の元祖を....
間人考」より 著者:喜田貞吉
読むを常としたもので、後にその文字によってマヒトと読むに至ったものと解せられる。和名抄に備中国浅口郡に間人郷というのがあって、刊本には「万無土」と訓じ、高山寺本....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
れを外側に立ててあった。しかしいずれも壁が直接雪に冒されないための防禦なのだ。『和名抄』に、 とある。そしてそれを屏障具の中に列挙してあるのである。このことは『....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ありましょう。余戸の説明をした古文を見ますと、京都の栂尾の高山寺に伝わっていた「和名抄」という書物がありまして、その中に、「班田に入らざる之を余戸といふ」とあり....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
を解して、これすなわち穢多だという様に解している。「越多の種落之を阿麻別と謂ふ。和名抄を按ずるに、載する所諸国の郷名に余戸と称する者一国或は十余所に及ぶ。(中略....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
についても、しいて反対するものではない。否餌取がその職を失って屠者の群に投じ、「和名抄」の頃に於いて既に、そのエトリの名が屠者に及んでいたのを認めることに於いて....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
及び、少くも平安朝中頃以後にあっては、その徒をすべてエトリと呼んでいたらしい。「和名抄」に、 屠児 揚氏漢語抄云、屠(居徒反)訓(保布流)屠児(和名恵止利)屠取....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
「地得ぬ玉作」という諺の存在を伝えている。また諸国に多い余戸の如きも、「高山本寺和名抄」によれば、「班田に入らざる之を余戸といふ」とあって、土地を有せず、農民で....