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「哲学史〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

哲学史の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
路上」より 著者:芥川竜之介
兼ねて、その面倒も見に行く心算《つもり》なんだ。どうもこう云う問題になると、中々哲学史の一冊も読むような、簡単な訳にゃ行かないんだから困る。」 「そりゃそうだろ....
自分だけの世界」より 著者:辻潤
分の好きな名前をつけるがいいのである。 『唯一者とその所有』という書はこれまでの哲学史上からは殆ど無視されてきた。つい近頃、僕は吹田氏の訳したヴンデルバンドの『....
錯覚自我説」より 著者:辻潤
を知ったのである。 私は形而上学の学徒でもなければ、マルクスの信奉者でもない。哲学史をすら通読したことさえない人間である。しかし、古谷君の『オイケン哲学の批難....
田舎教師」より 著者:田山花袋
いろな書を読んだ。主僧に頼んで、英語を教えてもらったり、その書庫の中から論理学や哲学史などを借りたりした。机のまわりには、文芸倶楽部や明星や太陽があるかと思うと....
ルクレチウスと科学」より 著者:寺田寅彦
うことを痛切に感じさせられたのであった。 その後に私は友人|安倍能成君の「西洋哲学史」を読んで、ロイキッポス、デモクリトス、エピクロスを経てルクレチウスに伝わ....
愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
論を裏切り、深遠な形而上学を建設したのである。経験という語と形而上学という語とは哲学史上背を合わしてきているにもかかわらず、氏の体系においては経験はただちに形而....
科学論」より 著者:戸坂潤
の右翼が神学的形而上学へ赴き、左翼が神学批判と唯物論とへ赴いたに対して、中央派は哲学史としてのみ成り立つことが出来る。哲学体系をこの破産から救済しようというささ....
現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
出していたのは事実である。ヘーゲル右翼にぞくする J. Schaller の自然哲学史などでも、そういう関心から書かれたわけである(Geschichte der....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
は何か合理的な解決に行かねばならず、又行き得るだろうという違いがあるだけである。哲学史を通じて物質という概念はありと凡ゆる様々な意味で用いられている。特に夫が至....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
ミーチン編『弁証法的唯物論』等を一読すればよく分る。この哲学論争は実にソヴェート哲学史上の最重要な画期的な事件であった。やがてデボーリンを初め、殆んど全部のデボ....
獄中消息」より 著者:大杉栄
文学論、折々言う抱月の近代文芸の研究、それから早稲田の文芸百科全書、外に何か最近哲学史というようなもの。 経済学では、金井博士の社会経済学、福田の経済学研究、....
技術的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
果でなくてはならぬ以上、根本想定とならねばならぬ。尤もそのためには従来の文化史や哲学史、又科学史や技術史自身さえをも、多少書き直す必要があるのであって、今ここに....
学生と教養」より 著者:倉田百三
理学はその人の一般哲学根拠の上に築かれないものはないから、倫理学の研究は哲学及び哲学史の研究に伴わねばならぬのはいうまでもない。しかしここではそれには触れない。....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
て、また広く当時社会の先覚者として思想界に大きな影響を及ぼした人であるからには、哲学史の上から見てもけっして看過することのできない人物であると思う。殊に福沢諭吉....
学究生活五十年」より 著者:津田左右吉
おらず、気のむくままに手ごろな本を読んでいただけのことである。シュヴェグラアの『哲学史』のイギリス語訳をほねをおって読んだのも、このころであったように思うが、そ....