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商船学校
「商船学校〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
商船学校の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「空中墳墓」より 著者:海野十三
細道を通りぬけて行くのであった。そこは、越中島埋立の失敗から、途中に航空研究所と
商船学校のある外は人家とてもなく、あたり一面、気味の悪い沼地になっていて、人の背....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
ととなり、それぞれの友人の宅に置いて貰う。ほかに良ちゃんはうちに下宿中、洋二君は
商船学校に在学中で、一家六分離した状態となった。 ◯親類ですでに戦災せるは、牛込....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
無事に中学校を終えて、僕と島田とは外国語学校に、登坂と田中とは水産講習所に、谷は
商船学校に、みなかなりの好成績ではいった。 谷は今郵船の船長をしている筈だ。田....
「仮装人物」より 著者:徳田秋声
はいつの場合でも、ロマンチックな話の種に事欠かなかった。グロなその夫人と、土地の
商船学校にいた弟との恋愛模様とか、その弟に年上の一人の恋人があって、その弟とのあ....
「火薬船」より 著者:海野十三
っております高級船員たちも、どこから見ても中国人ですが、これがみな日本人なんで、
商船学校も出た者もおりまするし、予備の海兵も混っております」 虎船長は、そうい....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
や月島は被害が甚《ひど》かった。庭の眺めになるほどの距離にある相生橋から越中島の
商船学校前には、避難して来ていた和船《おおぶね》が幾艘《いくそう》も道路に座って....
「無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
これは、今から四十六年前、私が、東京高等
商船学校の実習学生として、練習帆船|琴ノ緒丸に乗り組んでいたとき、私たちの教官で....
「わが精神の周囲」より 著者:坂口安吾
けたりするのであった。 私は私の病気を案じて附き添ってきてくれた高橋正二という
商船学校出身のイキのいゝ青年に、 「君はジン臓が悪いそうだから、やってもらえよ」....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
居ります。また少しく高級なところで見ましても、彼の外国航路の船の船長となるには、
商船学校を卒業して更に十年くらい実地の練習を必要と致します。何でも一つの事をなす....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
しかった。 白い大きな鳥が、青い潮にういているのがくっきりと見えている。対岸の
商船学校から、オールを揃《そろ》えて短艇《ボート》を漕《こ》ぎ出してくるのが、家....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
。 私が十五、六歳の頃であった。永代橋の河下《かわしも》には旧幕府の軍艦が一艘
商船学校の練習船として立腐《たちぐさ》れのままに繋がれていた時分、同級の中学生と....
「青い風呂敷包」より 著者:大倉燁子
は昨年お亡くなりになりましたが、大変なお金持ちで、譲さんはそこの一人息子ですわ。
商船学校を今年卒業し、就職口も定りかけているんですの。柔道四段の強い人のようでも....