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嚆矢
「嚆矢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
嚆矢の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
えます。それでキリスト教の演説会で演説者が腰を掛けて話をするのはたぶんこの講師が
嚆矢《こうし》であるかも知れない(満場大笑)、しかしながらもしこうすることが私の....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
わって置きたい。アメリカの船員が我が役人らを撮影し、あわせてその技術を教えたのが
嚆矢《こうし》であると云う。その以来、写真術は横浜に広まって、江戸から修業にゆく....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
を見るに至る、この分離は翌年に及んでかの有名なる民選議院論に変じ、立憲政体催促の
嚆矢となれり。 一種特別の事情より突出したるこの急進論派はかの二政論派といかな....
「無惨」より 著者:黒岩涙香
無惨序 日本探偵小説の
嚆矢とは此無惨を云うなり無惨とは面白し如何なること柄を書しものを無惨と云うか是れ....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
正三年アルカラ(西班牙)の出版である。殊に此書は欧羅巴刊行の書籍中漢字を組入れた
嚆矢としてビブリオファイルに頗る珍重される稀覯書である。 帝国大学の図書室で第....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
した活版本で、完結までには十冊以上を続刊したのであった。これが講談落語の速記本の
嚆矢であろうと思われるが、その当時には珍しいので非常に流行した。それが円朝の名声....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
故人の功績に報ゆるために、店葬として厚く弔いました。中村屋の店葬はこの人をもって
嚆矢とします。 精一郎は主人の甥で、福島高等商業を卒えて中村屋に実地修業に来て....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
かりで、私のような小さな一商店主が西洋における商業の実際を調べに往ったのは、私が
嚆矢ではないかと思います。こうして今一つ私が少しく調べて来ましたのは、百貨店の大....
「勧善懲悪」より 著者:織田作之助
鱈目の感謝状と写真を徴発した。これが大正十年、肺病全快広告としてあらわれた写真の
嚆矢である。 ついで、彼は全国の支店、直営店へ、肺病相談所の看板を揚げさせると....
「熱情の人」より 著者:久保栄
台を再現し得るほど明細精密な演出プランを残したレジッスウルは、小山内先生をもって
嚆矢とするのである。追悼記念公演の名のもとに、築地および京阪中京の三都に上演され....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
ないという、一種の冷罵を意味している名称で、絵入新聞に仮名垣魯文がこう書いたのが
嚆矢であるとか伝えられている。いずれにしても、そうした悪意の名称がたちまち世間に....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
家屋論を講演した事がある、邦人にして独逸語を以て独逸人の前で演説したのは余を以て
嚆矢とすというような論鋒で、一々『国民新聞』所載の文章を引いては、この処筆者の風....
「平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
最初(土人は省く)の登攀者だと確信している、いわんや写真や記文は下手ながらこれが
嚆矢であると考えている。 これが立山の劍か赤石山ででもあると、非常に天狗になれ....
「画工と幽霊」より 著者:岡本綺堂
されて、ここを私の居間と定められたが、こんな立派な広いお座敷に寝るのは実に今夜が
嚆矢だ、併し後で考えるとこのお座敷が一向に有難くない、思い出しても慄然とするお座....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
三升と改名。 ○十一月、守田座にて「東京日日新聞」を上演。新聞物を舞台に上せたる
嚆矢なり。 ○東京府令によって市内の劇場を十カ所と定められたれば、在来の三座のほ....