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「四十七士〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

四十七士の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
未帰還の友に」より 著者:太宰治
、謝罪した。けだし、僕たちの策戦たるや、かの吉良《きら》邸の絵図面を盗まんとして四十七士中の第一の美男たる岡野金右衛門が、色仕掛の苦肉の策を用いて成功したという....
人間失格」より 著者:太宰治
起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成《くすのきまさしげ》の銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていま....
如是我聞」より 著者:太宰治
訣だ。その家族と喧嘩をして、追われるように田舎から出て来て、博覧会も、二重橋も、四十七士の墓も見たことがない(或いは見る気も起らぬ)そのような上京者は、私たちの....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
「おめえも強情な子だな。節季師走に両国橋のまん中に突っ立って何をしているんだ。四十七士のかたき討はもう通りゃあしねえぜ。それともお前、袂に石でも入れているのか....
青年」より 著者:森鴎外
るから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛がるには当らない。何も山鹿素行や、四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗さ....
社会時評」より 著者:戸坂潤
任して行った。その後本隊の決戦が行われることになる。 そこで馘になったのは所謂四十七士で(尤も正確には四十七人はいなかった)、問題の中心人物野上豊一郎氏を始め....
細木香以」より 著者:森鴎外
、出入の左官に与えなどした。しかし伊兵衛は卑吝では無かった。某年に芝泉岳寺で赤穂四十七士の年忌が営まれた時、棉服の老人が墓に詣でて、納所に金百両を寄附し、氏名を....
マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
い事があって出演しなかったが(彼らは川上の望んでいた芝|高輪《たかなわ》泉岳寺の四十七士の墓所の下へ別に師の墓を建て、東京における新派劇団からの葬式を営んだ)幸....
堕落論」より 著者:坂口安吾
はない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。 昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさ....
保久呂天皇」より 著者:坂口安吾
てらしてもよく分るが、貧乏人が辛抱づよいというのはすでに不穏のシルシである。赤穂四十七士のように不穏のタクラミがある時にかぎって貧乏人がジッと我慢するものだ。久....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
の枕元で酔っぱらってハップンする旦那方も――しかし、無邪気で、勇しいな。泉岳寺の四十七士などでも、根はそんな風にしてハップンしたもののようだ。鎌倉に四十七士が奮....
次郎物語」より 著者:下村湖人
たが、しばらくして、 「日本では、雪の日によく血なまぐさい事件が起こるものだね。四十七士の討ち入り、桜田門外の変、……しかし、今度の事件ほど暗い運命的な感じのす....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
に行って来たんだよ。ほんの一カ月だけ。ある商店へやられたんだが、つまらないから、四十七士の墓だけ参詣して、逃げて帰ってしまったんだよ。それから今の塾へ、おやじに....
秋草の顆」より 著者:佐左木俊郎
、別に「置いてもらえるか?」とか「頼む」とも言わずに、何か口の中で「日比谷公園と四十七士の墓とは見て行ったらいいだろうかな?」というようなことをぼそぼそと言った....
学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
。浅野家の家来どもこの裁判を不正なりと思わば、何がゆえにこれを政府へ訴えざるや。四十七士の面々申し合わせて、おのおのその筋により法に従いて政府に訴え出でなば、も....