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四境
「四境〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
四境の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
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「義血侠血」より 著者:泉鏡花
、清風を担《にな》い、明月を戴《いただ》き、了然たる一身、蕭然《しょうぜん》たる
四境、自然の清福を占領して、いと心地《ここち》よげに見えたりき。 折から磧の小....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
附近や、出雲の宍道湖畔《しんじこはん》のように、水郷といった趣ではないが、大河が
四境を圧して、海と持合いに、この平野がのびているという感じは豊かである。
見渡....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
このごろになって、はじめて夢を見ることの快楽が、少しずつ身にしみて来たようです。
四境|閑《かん》にして呼吸の蜜よりも甘い時、恍惚《こうこつ》として夢路に迷い入る....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
日――この一年のうち、いくらもなかるべき注文の日を選んで、数十尺の超越から帝都の
四境を見渡すと、そこに都人は、崇高にして悠遠《ゆうえん》なる山岳のあこがれを呼び....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
城して、君臣共に討死するということはモウきまっている。そこでその少数ながらも藩の
四境を固める兵員を配置して、それらがなかなかの騒ぎであった。その中まず土州軍は久....
「三国志」より 著者:吉川英治
飛。 といったように、名だたる者を要所要所にすえ、孔明がその中央荊州に留守し、
四境鉄壁の固めかたであった。 建安十六年冬十二月。ようやくにして玄徳は蜀へ入っ....
「三国志」より 著者:吉川英治
らに第五路としては。――大都督曹真の魏軍の中堅を以てし、陽平関を突破し、東西南北
四境の味方と呼応して、大挙、蜀に入って、成都をふみつぶさんとするもので――これら....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
を謳ッているのであるが、じつは人心が幕府を見かぎり出した兆し以外なものではない。
四境の武門は、風を望んで、われがちのように船上山の御所へのぼって随身の誓いをささ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
とくに今の高時の代では、一面|熟れきッた文化の府でもあった。 十橋の柳は老い、
四境の内は、まるでこの世の浄土曼陀羅だった。ことしは閏で二月が二度かさなっていた....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
お三、四万の兵力は優にあろう。 そのうえ、地勢のこともある。嶮ではないが、鎌倉
四境はすべて山だ。また山に沿う丘やら谷やら狭道で攻めるに難い。――のみならず、南....