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回礼
「回礼〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
回礼の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
つまり上戸は下町で酔いつぶれてしまうが、下戸は酔わないから正直に四谷赤坂麹町まで
回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町や赤坂などの年始廻りをしているのは野暮《や....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
相違ない。 それほどの大雪にうずめられている間に、のん気な江戸の人達は、たとい
回礼に出ることを怠っても、雪達磨をこしらえることを忘れなかった。諸方の辻々には思....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
れからすぐに愛宕下の湯屋へ急いで行ったのは朝の四ッ半(十一時)頃で、往来には遅い
回礼者がまだ歩いていた。獅子の囃子も賑やかにきこえた。 裏口からそっとはいると....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ければ元の寂寥にかえる。さすがに新年早々はどこの店でも門松を立て、国旗をかかげ、
回礼者の往来もしげく、鉄道馬車は満員の客を乗せて走る。いかにも春の銀座らしい風景....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
に伴われながら、新政府の大官貴顕と聞こえた三条、岩倉、鍋島、毛利、東久世の諸邸を
回礼したと伝えらるることすら、大変な評判になっているころだ。 いよいよその日の....
「魔都」より 著者:久生十蘭
、安南王は一向に驚く気色もなく、
「おお、鶴野君とは意外です、どうしてまた今頃。
回礼にしては少し早や過ぎるようだが。……思うにまた鶴子の顔が見たくなったのですね....
「曲亭馬琴」より 著者:邦枝完二
は七つだった。父の伝左衛門《でんざえもん》は、家主になった最初の新年とて、町内を
回礼せねばならなかったが、従者を雇う銭がなく、それが為めに京伝は挟箱《はさみばこ....
「年賀郵便」より 著者:岡本綺堂
新年の東京を見わたして、著るしく寂しいように感じられるのは、
回礼者の減少である。もちろん今でも多少の
回礼者を見ないことはないが、それは平日よ....
「正月の思い出」より 著者:岡本綺堂
来る。今日と違って、年賀郵便などのない時代であるから、本人または代理の人が直接に
回礼に来る。一々それに対して「実は……」と打ち明けなければならない。祝儀と悔みが....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
多忙、寺に詣する間隙を得ること難ければなり。 国教宗の寺院はたいてい毎日朝夕二
回礼拝を行うも、平日は読経のみにて説教なし。説教あるは日曜朝夕とその他の祭日に限....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
大学者である」と説明して聞かせしもおもしろかった。 船中にては各週日曜、朝夕二
回礼拝式があるが、その主祭は船客中の僧侶二人が代わり合って引き受けることに相談が....
「三国志」より 著者:吉川英治
の至りです。そのうち気が向けば、兄のほうからお伺いするでしょう」 「なんぞ先生の
回礼を待たん。また日をおいて、自身おたずねするであろう。ねがわくは、紙筆を貸した....
「三国志」より 著者:吉川英治
と、なにか耳へささやいた。 翌日、玄徳は、 「きのう世子のご訪問をうけたから、
回礼に行かねばならぬが、どうしたのか、今朝から腹痛がしてならぬ。わしに代って、ご....
「三国志」より 著者:吉川英治
よ」 と、機嫌を直した。そして次の日、帰国したが、そのときまた、蜀からふたたび
回礼使として、※芝が同行した。 程なく、蜀呉同盟は成立を見、両国間に正式の文書....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
川時代の山陽道筋の茶筅の徒が、烏帽子素袍で万歳に出たり、両刀を帯して元日の祝儀に
回礼したり、あるいは朱房の十手を携えて捕方を勤めたりなどしても、依然として京都四....