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「図絵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

図絵の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
ている。 主人は私に退屈させまいとして懐《ふところ》から東海道|分間《ぶんま》図絵を出して頁をへぐって説明して呉れたりした。地図と鳥瞰図《ちょうかんず》の合の....
失楽園殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
んだ腹をそのままに作り、他の二人には冥界の獄卒が着る衣裳を纏わせて、いわゆる六道図絵の多面像を作り上げたのでした」 とそういってから、杏丸の眼にチカッと嗤うよ....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
アメリカ側ももっと寝覚めがいい筈であったろうに。 原子爆弾で広島に起こった地獄図絵を画いて、アメリカはじめ各国へ配ってはどうかと思う。そしてかかる惨虐行為が再....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ある。 客の心持が変ると共に、温泉宿の姿も昔とはまったく変った。むかしの名所|図絵や風景画を見た人はみな承知であろうが、大抵の温泉宿は茅葺き屋根であった。明治....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
い一筋道をたどって、日ごろの願いとする神の住居にまで到り着いたが、あの木曾の名所図絵にもある園原の里の「帚木」のように、彼の求めるものは追っても追っても遠くなる....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
て、一方に口ある故に、斯様には名《なづ》け侍《はべ》り」(浮世物語) 都名所図絵《みやこめいしょずえ》には、 「また寛永十八年に今の朱雀野へ移さる、島原と....
火葬国風景」より 著者:海野十三
る花瓶が載っていた。観察すればするほど奇妙な酒場だった。八十助はいつか西洋の妖怪図絵の中に、こんな感じのする家が出ていたのを思い出した。 鼠谷はカクテルを註文....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
児浦」は今は富士郡だが、古えは廬原郡にもかかった範囲の広かったもので、東海道名所図絵に、「都て清見興津より、ひがし浮島原迄の海浜の惣号なるべし」とある。 さて....
悪因縁の怨」より 著者:江見水蔭
の中に詰らなく遺っているけれど、天保時代には、要島という島に成っていて、江戸名所図絵を見ても分る。此地眺望最も秀美、東は滄海漫々として、旭日の房総の山に掛るあり....
ミミズ酒と美女」より 著者:佐藤垢石
る蚯蚓は、共に長さ三尺五寸以上はある。日本にも素晴らしく大きいのがいた。倭漢三才図絵には、丹波国遠坂村に大風雨の後山崩れあり大蚯蚓を出す。一つは一丈五尺、一は九....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
ぞ題されたる一枚摺錦絵あり。また『江戸土産《えどみやげ》』(十巻)『狂歌江戸名所図絵《きょうかえどめいしょずえ》』(十六巻)等の絵本あり。 一立斎広重は北斎と....
日和下駄」より 著者:永井荷風
はなみでら》に比較せられた仙寿院《せんじゅいん》の名園ある事は、これも『江戸名所図絵《えどめいしょずえ》』で知っている処から、日和下駄《ひよりげた》の歩きついで....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
の妻は安倍宗任の女で、毛越寺の境内に観自在王院を建立した。四壁に洛陽霊地の名所を図絵し銀をもって仏壇を作り、高欄は磨金なりとある。また小阿弥陀堂を建て、障子色紙....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
委しく見えている。 六月二十日夜戌の刻堂内の明を消して、生贄にする僧(貞云、名所図絵に俗とあるは古い式で、後には僧を以て之に代へたものか)を座せしめ、衆僧も暗中....
三稜鏡」より 著者:佐左木俊郎
のであった。それは全く、戦慄せしむる研究であり、奇怪きわまる実験で、研究室は地獄図絵さながらであった。何処から攫って来るのか、博士は何時も生きている人間を拉れて....