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在俗
「在俗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
在俗の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
には、阿難尊者《あなんそんじゃ》さえ迷わせられた。竜樹菩薩《りゅうじゅぼさつ》も
在俗の時には、王宮の美人を偸《ぬす》むために、隠形《おんぎょう》の術を修せられた....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
ついて行くうちに、彼は老僧の着ている作務衣に気がついた。老僧の作務衣は、その男が
在俗の時に着た黒紋付の羽織らしかった。その羽二重らしい生地が、多年の作務に色が褪....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
じゃと言うた(『摩訶僧祇律《まかそうぎりつ》』三四)、『沙石集』三に、質多居士は
在俗の聖者で、善法比丘てふ腹悪き僧、毎《つね》にかの家に往って供養を受く、ある時....
「連環記」より 著者:幸田露伴
に朽ちたものと見える。 保胤は入道して寂心となった。世間では内記の聖と呼んだ。
在俗の間すら礼仏誦経に身心を打込んだのであるから、寂心となってからは、愈々精神を....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
打消そうと力むるのか、裏の枯れたような高笑い、 「ハッハッハ。其通り。了休がまだ
在俗の時、何処からか教えられてまいったことであろうが、二ツの泥づくりの牛が必死に....
「松の操美人の生埋」より 著者:三遊亭円朝
お上の手に掛って素首を刎られる身の上、よしんば大夫が今坊主になっても、粥河圖書が
在俗の時分是々の悪事があるといえば、法衣の上から縄に掛るは極って居る、今改心して....
「親鸞」より 著者:三木清
いる。もし僧侶が無戒であるならば、彼らはいわゆる「名字の比丘」であり、本質的には
在俗者と同じでなければならぬ。かくして浄土門の教は僧俗一致の教法である。この教法....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
裔であることは、『吾妻鏡』(文治二年八月十五日条)に、彼の言として、「弓馬の事は
在俗の当初憖に家風を伝ふと雖、保延三年八月遁世之時、秀郷朝臣以来九代嫡家相承の兵....
「法然行伝」より 著者:中里介山
じことならば早く出家の本意をとげたいものだと思ったが、関東でお許しが出ないから、
在俗の形ながら、法名を継ぎ戒を受け、袈裟《けさ》をたもちたいということを法然に頼....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
すでに現実上にあるのでありますから、法華経が理を説くかたわら、維摩、勝鬘の二経が
在俗の士女によって説かしめられてあるのは大いに意味があるのであります。 太子さ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
』の誌上において、「毛坊主考」(大正三―四年、第二巻一―一二号)の題下に特殊民と
在俗法師との関係につき、長々しく研究を連載せられたことがあった。毛坊主ということ....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
門に似て心は屠児の如し」と云い、また「天下の人民三分の二は皆是れ禿首の者」とある
在俗のこの法師原、これ実に当時の貴紳たる三善清行の目に映じたところの窮民の状態で....