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在勤
「在勤〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
在勤の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
人に対する迫害|沙汰も頻々として起こった。下田以来の最初の書記として米国公使館に
在勤していたヒュウスケンなぞもその犠牲者の一人だ。彼は日米外交のそもそもからハリ....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
は、われより医師を促すまでに怠らず病を養えるなりき。 目と鼻の横須賀にあたかも
在勤せる武男が、ひまをぬすみてしばしば往来するさえあるに、父の書、伯母、千鶴子の....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
しい、出し入れのかかりの人が、三年余り前、大阪へ行った時、一寸行ってみたら、未だ
在勤で、挨拶をされてなつかしかった。 ある一つのカードの函などは、ことごとく読....
「大阪を歩く」より 著者:直木三十五
、年に一度位、遊びに行くが、九時から行って、妓一人で矢張り十円である。プラトン社
在勤当時、九郎右衛門町の福田屋へよく行ったが、十時ごろから一時ごろまで、三代鶴を....
「英本土上陸作戦の前夜」より 著者:海野十三
いうよ」 と、受附子の言葉が、急に乱暴になって、 「わしは、ロンドンに二十年も
在勤しているが、ついぞ、仏天青などというおかしな名前の参事官があった話を聞かない....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
許を拙者は知らぬ」 「親しくお目にかかるは初めてながら、拙者はあなた様が甲府に御
在勤の折、よそながらお目にかかりました」 「ナニ、拙者が甲府にいた時分? 其許は....
「関牧塲創業記事」より 著者:関寛
一層の脱力を覚えたるも、強て歩行し、漸く西村氏に泊す。此際に近藤味之助氏は学校に
在勤して慰めくれたり。 然るに其後両日間は非常なる暴雨にて、休息し、晴れを待って....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
の土居藪鶯氏は兼て知り合いで、これもその頃から俳句を始めたと聞いたので、この人の
在勤している、横浜へも行って共に句作し、そこの宗匠に見てもらう事もしたけれどもま....
「勧善懲悪」より 著者:織田作之助
彼の五代の祖、川那子満右衛門の代にこんなことがあった……。 当時満右衛門は大阪
在勤で、蔵屋敷の留守居をしていた。蔵元から藩の入用金を借り入れることが役目である....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
歯が痛むといって、蕎麦掻ばかりを一カ月も続けられたのには皆|呆れました。 小倉
在勤中は、田舎の女中ばかりでさぞ食物に困るだろうという母の心配から、註文のままに....
「墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
ならず、毎日のように憲兵隊へ日参して、しまいにはその人が公使館武官でベルグラード
在勤中、少しばかりのお世話をした縁故を辿って西部軍管区司令官の許まで、頼みにいっ....
「西航日録」より 著者:井上円了
、百般の事につき周旋の労をかたじけのうせり。また当地公使館には、旧友秋月左都夫君
在勤ありしをもって、諸事好都合を得たり。 十日は日曜に当たるをもって、市内の諸....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
いささか客懐を慰むるに足る。午後一時、着市す。その里程百二十五マイルあり。公使館
在勤藤井実氏、甘利造次氏、三隅棄蔵氏、停車場内にありて歓迎せらる。目下、日置公使....
「神仙河野久」より 著者:田中貢太郎
ことを知ったのは、明治九年の夏のことであった。宮地翁はその時、教部省の命で大阪に
在勤して神道の講義をしていた。河野が宮地翁の講義を聞いたのはその前であったが、し....
「女賊記」より 著者:田中貢太郎
がたと云わす音が物凄かった。 声のした方角は西の方であった。そこは主人が江戸に
在勤している留守宅であった。主人の父親になる老人が玄関口に出ていた。 「……奇怪....