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「地続き〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

地続きの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
路上」より 著者:梶井基次郎
いるが先ほどの処《ところ》よりはもう少し高い眺望があった。先ほどの処《ところ》の地続きは平にならされてテニスコートになっている。軟球を打ち合っている人があった。....
雪後」より 著者:梶井基次郎
》をとりながら、行列して滑る有様を信子が話していたが、その切り通し坂はその傾斜の地続きになっていた。そこは滑石を塗ったように気味悪く光っていた。 バサバサと凍....
階段」より 著者:海野十三
(国立科学研究所を国研と略称することも、其の日知ったのである)東京の北郊飛鳥山の地続きにある閑静な研究所で、四階建ての真四角な鉄骨貼りの煉瓦の建物が五つ六つ押し....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
するテ、仕様がないじゃないか。相手は、強すぎるんだ」 「だって、青森県て、東京の地続きでしょう。アメリカの兵隊の足音が、響いてくるようだわ」 「もっと、えらいこ....
爬虫館事件」より 著者:海野十三
か手帖に書き止めると、外に園長の写真を一葉借り、園長の指紋を一通り探し出した上で地続きの動物園の裏門を潜ったのだった。 西郷という副園長は、すぐ帆村に会ってく....
蠅男」より 著者:海野十三
、ブラブラと橋の上を歩いていった。これが兇悪「蠅男」の跳梁する大阪市と程遠からぬ地続きなのであろうかと、分りきったことがたいへん不思議に思われて仕方がなかった。....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
。おてつという美人の娘が評判になったのである。元園町一丁目十九番地の角店で、その地続きが元は徳川幕府の薬園、後には調練場となっていたので、若い侍などが大勢集まっ....
春昼」より 著者:泉鏡花
ながら大の節倹家で、積年の望みで、地面を少しばかり借りましたのが、私庵室の背戸の地続きで、以前立派な寺がありました。その住職の隠居所の跡だったそうにございますよ....
唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
んど寸分の違いもありません。……不思議です。……特に奇蹟と存じますのは、――家の地続きを劃って、的場を建てましたのですが、土地の様子、景色、一本の松の形、地蔵の....
縁結び」より 著者:泉鏡花
て、養子を見ると、慌てて襷をはずして、お辞儀をしたがね、そこが養子の実家だった。地続きの桃畠へ入ると、さあ、たくさん取れ、今じゃ、※さんがいい児にするぜ。 厭....
すっぽん」より 著者:佐藤垢石
と中国産のすっぽんは朝鮮、満州のものと縁が近いように思えるが、太古日本と大陸とは地続きであったことを、これが物語るのではあるまいか。 朝鮮と満州産は内地のもの....
二階から」より 著者:岡本綺堂
。おてつという美人の娘が評判になったのである。元園町一丁目十九番地の角店で、その地続きが元は徳川幕府の薬園、後には調練場となっていたので、若い侍などが大勢集って....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
おったものでありましょう。山人が山間に遺った様に、海浜にも海人が遺る。もっとも平地続きの海浜では、早く世間に同化してしまいますが、交通の極めて不便な、嶮しい山が....
来り人の地位と職業」より 著者:喜田貞吉
掛の指令は、 平民申付候事 という六字であった。 因みに云う。自分の郷里の墓地続きに「来り人の墓」というのがある。自分の何代前かの先祖の時に、安芸国から来た....
黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
出るのが最も捷径であり、古くから利用されていたらしい。御山谷は残雪は少ないが、草地続きで偃松の丈も低く、開豁で歩きよい。今日は途中待望の岳蕨を採集し、中ノ谷で昼....