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坐像
「坐像〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
坐像の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の寸法を彫刻家の注文通り断ち切る役なのです。 正式の寸法の割合として、たとえば
坐像二尺の日蓮上人、一丈の仁王と木寄せをして仏師へ渡します。結局、仏師が彫るまで....
「道標」より 著者:宮本百合子
ール》のつき当りには、ロシアの子供たちのために無数の寓話物語を与えたクルィロフの
坐像が飾られていた。部屋着のようなゆるやかな服装で楽々と椅子にかけ、いくらか前こ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
院境内にオサルサマあり、子を授くるとて信者多し、その本尊木彫の猴、高さ一尺内外の
坐像、半身大の桃実を抱き真向に坐す。なおこの正体のほかにこれに似た一猴像あり、こ....
「子供・子供・子供のモスクワ」より 著者:宮本百合子
歩いては行くのだが、目につくのは並木のはてまで子供、子供だ。アルバートのゴーゴリ
坐像の膝があいているのが不思議ぐらいな賑いである。 ソヴェト市民の大部分は日本....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
吉祥天のお写真に似させ給う。白理、優婉、明麗なる、お十八、九ばかりの、略人だけの
坐像である。 ト手をついて対したが、見上ぐる瞳に、御頬のあたり、幽に、いまにも....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
わずタジタジとなったが、改めてよく眼を定めて見直すと、これは巨大なる石の地蔵尊の
坐像であったことを知って、いささか力抜けがしました。
右の巨大なる石の地蔵尊が....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
か知らんとお銀様は、その瞬間に感じていたのです。 その彫刻は二尺ばかりの木彫の
坐像で、一見しょうづかの婆《ばば》とも見える姿をした女性が立膝を構えている。おど....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
すっかり乾いてしまって、冷笑気分が豊かです。ただ夕陽のような火の色だけが、二人の
坐像を、紅と黒とにかっきりと描き出していることは、以前と少しも変りません。 し....
「後光殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
るにつれて、中の薬師三尊が、如何にも熱帯人らしい豊かな聖容を現わして来た。中央は
坐像の薬師如来、左右の脇侍、日光月光は立像である。薬師三尊の背後は、六尺程の板敷....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
って何だか御存じ? それは浅草のカンノンさんなんかにもある妙なつるりとした坊主の
坐像で、自分の痛いところをなでて、おびんずるの同じところをなでると苦しみがとれる....
「映画と民族性」より 著者:伊丹万作
川の陣に相会する頼朝義経の像を画いて三代美術の精粋をうたわれたが、殊に図中頼朝の
坐像の美しさは比類がない。また、室町期以降の多くの武将の
坐像、あるいは後醍醐天皇....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
うに云われているが、コマ神社の白髯サマはそうでなかった。 一尺ぐらいの木ぼりの
坐像だが、およそ素人づくりのソマツな細工で、アゴに白髯のゴフンが多少のこっている....
「自作肖像漫談」より 著者:高村光太郎
に歪められてしまうような事も少くなかった。松方正義老公の銀像、大倉喜八郎男夫妻の
坐像、法隆寺貫主の
坐像などが記憶にのこっている。松方老公のは助手として父に伴いて....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
腕をもっておられ、五百羅漢製作においても多大の精進を積まれ一丈六尺の釈迦牟尼仏の
坐像、八尺の文殊、普賢の
坐像、それから脇士の阿難迦葉の八尺の立像をも彫まれました....
「十六、七のころ」より 著者:永井荷風
わ》まで古本が高く積んであったのと、床《とこ》の間《ま》に高さ二尺ばかりの孔子の
坐像と、また外に二つばかり同じような木像が置かれてあった事を、わたくしは今でも忘....