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垂仁天皇
「垂仁天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
垂仁天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
あげました。 おしの皇子 一 崇神天皇のおあとには、お子さまの
垂仁天皇がお位をお継ぎになりました。天皇は、沙本毘古王という方のお妹さまで沙本媛....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
田大人の功も徒に成なんと、我友皆いへればしるしつ」という感慨を漏らしている。書紀
垂仁天皇巻に、伊勢のことを、「傍国の可怜国なり」と云った如くに、大和に隣った国だ....
「嫉みの話」より 著者:折口信夫
個人は考えられず、族人として考えねばならぬ。妻と言うてもかならず一群の妻である。
垂仁天皇の皇后が亡くなられるとき、あとの皇后を推薦される。「汝の堅めたるみづのを....
「赤い玉」より 著者:楠山正雄
の天日矛の八|代めの孫に当たる人が、後に神功皇后のお母君になった方です。それから
垂仁天皇のおいいつけで、はるかな海を渡って、常世の国までたちばなの実を取りに行っ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
するに猿田彦なる先生は、伊勢五十鈴川上に住む親分、ギャングの親玉であったらしい。
垂仁天皇の朝、倭姫命が霊地をさがして歩く折、猿田彦の子孫と称する者が五十鈴川上に....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
ある。或いはその産屋の中で、後世所謂火定の終を遂げられたのであったかもしれない。
垂仁天皇の皇后狭穂姫は、兄狭穂彦とともに稲城の中で焼死された。無論屍体も焼けてし....
「人身御供と人柱」より 著者:喜田貞吉
して、これが使役に供せんが為である。我が国においても古代には殉死の風習があった。
垂仁天皇これを禁じ給うたと伝えられてはいるけれども、後にもなおそれが事実上行われ....
「古事記」より 著者:太安万侶
月にお隱れになりました。御陵は山の邊の道の勾《まがり》の岡の上にあります。 四、
垂仁天皇 后妃と皇子女 イクメイリ彦イサチの命(
垂仁天皇)、大和の師木《しき》....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
工人その他の雑職人として、通例土地の班給にあずからなかったものらしく、「古事記」
垂仁天皇条に、「地得ぬ玉作」という諺の存在を伝えている。また諸国に多い余戸の如き....