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城地
「城地〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
城地の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
なお戦艦、空母を含む三十数隻の敵艦隊は硫黄島を攻撃中。 ◯敵はビラをまいた。(茨
城地区に)大東亜戦争に於いて最初。 ◯放送は「明日も敵襲あるべし。敵機はふえるで....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
は行かなかった。江戸攻撃を開始して、あたりを兵乱の巷と化し、無辜の民を死傷させ、
城地を灰燼に帰するには忍びないのみか、その災禍が外人に及んだら、どんな国難をかも....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
彼は更に錯覚を深めるように云った、「即ちこれが、エアヒ川とでも申そうか――すると
城地はどちらにござろう――童児のころもなつかしまれます」
倒置したこの地形に郷....
「人民戦線への一歩」より 著者:宮本百合子
層強くなっている食糧人民管理の潮先とが、並んで一枚の紙面を埋めているのである。宮
城地方では、農民が「隠匿油罐を踏み台」にして政府の主食糧強制買上に反対の気勢を上....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
羽天皇の元暦文治のころにかけて三百七八十回の地震の記録があるが、その十分の九は山
城地方、わけて京都がそれを占有している。それは文化の中心地として記録の筆が備わっ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を卜《ぼく》して新藩を置くからには、やっぱり相当の深謀遠慮というやつがあり、この
城地の存在に、特別の使命が課せられていると見るのが至当だ。太閤の大坂城から奪って....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ている。ほとんど全国的に知る人と知らない人がある。この大通寺がその昔、羽柴秀吉の
城地であった時分から、お花さん狐は今日でもまだこの地に棲《す》んでいると堅く信ぜ....
「北京・青島・村落」より 著者:豊島与志雄
を持ってる都市は支那全土にない。 地図を見ればすぐに分ることであるが、北京は内
城地域と外
城地域とからなり、内城の中央に、その六分の一に当る広さの旧皇城がある。....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
、大義名分尊王|抑覇の、堂々とした学説を立てて、兵学を論ずるにあたっては、諸国の
城地を引例して、攻取の策を示したりした。すなわち朝権の衰微を憤り、尊王の精神を鼓....
「三国志」より 著者:吉川英治
の間に、黄巾賊の輩のために、県城は焼かれ、主君は殺され、領民は苦しめられ、一夜に
城地は焦土と化してしまった。――その無念さ、いかにもして怨みをはらしてくれんもの....
「三国志」より 著者:吉川英治
くれないうちは、わしは安心して死ぬことができない。どうか、世の為に、また、漢朝の
城地を守るために、この徐州の地をうけて、太守となってもらいたいが」 「いけません....
「三国志」より 著者:吉川英治
った。 袁術もやむなく、中軍を退いて寿春城の八門をかたく閉ざし、 「この上は、
城地を守って、遠征の敵の疲れを待とう」と、長期戦を決意した。 寄手は、浸々と、....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
の一致ならば、別に一方から伝えなくとも、偶然にも起り得たのである。 越後の西頸
城地方で、この草をツンボグサというわけはまだはっきりしない。土地の人ならばまだそ....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
、固い家では三把の苗を、その田神棒の根もとから採ることにしている。関東の苗尺、石
城地方の苗見竹、それより東北一帯にかけての家々の苗じるしは、何れも籾播き以前から....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
せた。 当時の北京は各国軍がそれぞれ駐屯区域を定めていたのだが、日本軍駐屯の北
城地域が最も平和で住民が安居し、ロシヤ、フランス、イギリス等の駐屯区域では兵隊が....