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「堀の内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

堀の内の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
しかった。大久保の屋敷の祟りもおそろしかった。質屋に奉公していたときの故朋輩が、堀の内の近所に住んでいるのを思い出して、千次郎はその足ですぐ堀の内へたずねて行っ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
も付かないようなことが時々ありました」 赤坂|裏伝馬町の常磐津の女師匠文字春が堀の内の御祖師様へ参詣に行って、くたびれ足を引き摺って四谷の大木戸まで帰りついた....
婦系図」より 著者:泉鏡花
済まん事さ、俺も他人でないお前を、薄情者にはしたくないから、居処を教えてやろう。堀の内へでも参詣る時は道順だ。煎餅の袋でも持って尋ねてやれ。おい、蔦吉は、当時飯....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ことで、黙阿弥の「嶋鵆月白浪」は明治十四年の作であるが、その招魂社鳥居前の場で、堀の内まいりの男が夜そばを食いながら、以前とちがって夜鷹そばは売り手が少なくなっ....
菎蒻本」より 著者:泉鏡花
と云う、あの、容子ばかりも、見て生命が続けたさに、実際、成田へも中山へも、池上、堀の内は申すに及ばず。――根も精も続く限り、蝋燭の燃えさしを持っては通い、持って....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
《おかし》なものである。 この私の邸は長く住まわないで、その年末には城山の麓の堀の内という、即ち第三の郭中へ更に邸を賜わった。これは父の実家たる菱田というが住....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
落付いて、昼飯や夕飯をよく一緒にたべます。 Sさんという元からの看護婦が池袋の堀の内にいて殆ど毎日来てくれ、寿江のインシュリンの注射をしてくれる。この頃寿江子....
文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
雑文を書いては、紹介状もないのにひとりで新聞社へ出掛けて行きました。朝、八時頃、堀の内を発足して丸の内まで歩いて行きますと、十一時頃丸の内に着き、そこで、新聞社....
」より 著者:佐藤垢石
六十里越、八十里越あたりの連山に眼を移せば、旅にいて、さらに旅心を唆られるのだ。堀の内から、川口までの間の二つ三つの荒い瀬に、魚野川筋随一と称してよろしい大きな....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
津を回って遠征したことがある。上越線が開通してからは足しげく行った。小出、浦佐、堀の内を中心として八月中旬過ぎには丸々と肥った大きな鮎が、友釣り竿を引き絞るよう....
初看板」より 著者:正岡容
の呼吸の男を出して、よろこばれだしました。 そそっかしい一面の自分のほうは、「堀の内」「粗忽《そこつ》長屋」「粗忽の釘」のなかでみんなそっくり地でいきました。....
わが寄席青春録」より 著者:正岡容
は、大震災直後、大阪南地の紅梅亭でたったいっぺんだけ久恋の人と聴いた。小さんは「堀の内」をその時演じ、その前にこれも震禍を避けて来阪中の伯山が関東震災記を例の濶....