塩原[語句情報] » 塩原

「塩原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

塩原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
。 「別府閣下の布告は終りました」杉内アナウンサーは、幾分上り気味だった。「次は塩原参謀より東京警報があります」 「東京警備一般警報第一号、発声者は東京警備参謀....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
かった。 これは私の若い時のことである。それから三、四年の後に、「金色夜叉」の塩原温泉の件りが読売新聞紙上に掲げられた。それを読みながら、私はかんがえた。私が....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
、われわれは山川草木を愛していたとその同じ心でボイラーを愛しエンジンを磨く。昔は塩原多助が馬のために泣いたが、今はキートンが機関車と別れを惜む。紳士は十六ミリ映....
灯明之巻」より 著者:泉鏡花
ある。 もし梅水の出店をしたのが、近い処は、房総地方、あるいは軽井沢、日光――塩原ならばいうまでもない。地の利によらないことは、それが木曾路でも、ふとすると、....
開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
に入る……ッてこれが、あまりないことさ。おまけに高尾のうまれ土地だところで、野州塩原の温泉じゃないけども、段々の谷底に風呂場でもあるのかしら。ぼんやりと見てる間....
霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
した。熱海、修善寺、箱根などは古い温泉場でございますが、近年は流行いたして、また塩原の温泉が出来、或は湯河原でございますの、又は上州に名高い草津の温泉などがござ....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
から、私は高坐における此の人をよく識っている。例の「牡丹燈籠」や「|累ヶ淵」や「塩原多助」も聴いている。私の十七、八歳の頃、即ち明治二十一、二年の頃までは、大抵....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
つきを烙きつけられているのだ。箱根霊験記の忠僕筆助、朝顔日記のみゆきの乳母朝香、塩原多助と青、忠臣蔵の平右衛門――こうしたものを聞かされていては、目下の者にやさ....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
からと云って先祖から」 角「私が名前も先祖から」 鹽「手前の先祖は下野の国塩谷郡塩原村の郷士鹽原角右衞門という事が書類に残って居りますが、精しくも調べては見ませ....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ですよ。たしかに馬ぐらいはホンモノを使うべきですよ。しかも、使い方が巧妙ですよ。塩原太助にホンモノの馬を使っても変なものだ。なぜなら、人間の役者の方が手拭で涙を....
水と骨」より 著者:佐藤垢石
向いているにも拘わらず水温が低い。 まれに、平州に源を発する駿州の富士川、野州塩原の裏山から出る常陸の那珂川のように太平洋へ注いではいるが大そう水温が高く、北....
平家蟹」より 著者:岡本綺堂
む白河の関にも遠からず、那須野が原には殺生石の旧蹟もござる。二荒の宮には春の桜、塩原の温泉には秋のもみじ、四季とりどりの眺めにも事欠かず、よろずに御不自由はござ....
温泉雑記」より 著者:岡本綺堂
かった。 これは私の若い時のことである。それから三、四年の後に、「金色夜叉」の塩原温泉の件が『読売新聞』紙上に掲げられた。それを読みながら、私はかんがえた。私....
古い記憶を辿って」より 著者:上村松園
で、文展時代の作品については、はっきりとした記憶がまだ残っています。春挙さんの〈塩原の奥〉とか、〈雪中の松〉とかは、いまだにはっきりとした印象を残しています。 ....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
り開場。八百蔵、猿之助、勘五郎、芝鶴ら出勤。 ○一月、歌舞伎座にて三遊亭円朝の「塩原多助一代記」を脚色して上演。菊五郎の多助、馬の別れが大好評。それより円朝その....