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「塩尻〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

塩尻の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
富士」より 著者:岡本かの子
た。 それかあらぬか、翁は天宙から頭上へ目庇《まびさし》のように覆い冠って来る塩尻の形の巨きな影を認めたかに感じた。そのときもはや翁の用意していた福慈岳に対す....
眉かくしの霊」より 著者:泉鏡花
……」 と、境が話した。 昨夜は松本で一泊した。御存じの通り、この線の汽車は塩尻から分岐点で、東京から上松へ行くものが松本で泊まったのは妙である。もっとも、....
単独行」より 著者:加藤文太郎
りは道よく道標ありて迷うことなく九時半飯島駅着、十時の電車にて辰野へ、中央線にて塩尻を経て名古屋へ、東海道線にて神戸へ無事五日午前一時着せり、同二時床につく。痛....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
追分の宿まで行くと、江戸の消息はすでにそこでいくらかわかった。同行三人のものは、塩尻、下諏訪から和田峠を越え、千曲川を渡って、木曾街道と善光寺道との交叉点にあた....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
に十一宿を引きくるめて中央の位置と見ていい。ただ関東平野の方角へ出るには、鳥居、塩尻、和田、碓氷の四つの峠を越えねばならないのに引きかえ、美濃方面の平野は馬籠の....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
れたいとの言葉をそこに残し、東京の新しい都を見うる日のことを想像して、やがて彼は塩尻、下諏訪から追分、軽井沢へと取り、遠く郷里の方まで続いて行っている同じ街道を....
谷より峰へ峰より谷へ」より 著者:小島烏水
て、重苦しく俯向いている、車中の土地の人は、あれがきのう降った焼岳の灰で、村井や塩尻は、そりゃひどうござんした、屋根などは、パリパリいって、針で突っつくような音....
風流仏」より 著者:幸田露伴
氷峠の冬|最中、雪たけありて裾寒き浅間下ろしの烈しきにめげず臆せず、名に高き和田塩尻を藁沓の底に踏み蹂り、木曾路に入りて日照山桟橋寝覚後になし須原の宿に着にけり....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
内藤駿河守が江戸を立って、伊那高遠へ帰ったからであった。 だが内藤家の行列が、塩尻の宿へかかった時、一つの事件が突発した。と云っても表面から見れば別に大したこ....
小春の狐」より 著者:泉鏡花
たものだ。私は何かの道中記の挿絵に、土手の薄に野茨の実がこぼれた中に、折敷に栗を塩尻に積んで三つばかり。細竹に筒をさして、四もんと、四つ、銭の形を描き入れて、傍....
稚子法師」より 著者:国枝史郎
尾よく主命も果たしたので、白馬に鞭打ち従者を連れ、木曽路を洗馬まで走らせて来た。塩尻辺で日を暮らす、此処洗馬まで来た頃には文字通り真の闇であった。先に立った足健....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
に菅笠、草鞋、脚絆という出立ち。居士が菅笠に認めくれたる送別の句、 馬で行け和田塩尻の五月雨 子規 余はそれに同行二人、行雲、流水と書き添えて、まず軽井沢ま....
山椒魚」より 著者:岡本綺堂
に木曾の方へ旅行したことがある。八月の初めで、第一日は諏訪に泊まって、あくる日は塩尻から歩き出した。中央線は無論に開通していない時分だから、つめ襟の夏服に脚絆、....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
思われる。 「雍州府志」にはまた小島の事を記して、 者也。 とある。この事は「塩尻」(「古事類苑」引)にも、 (これまた悲田院の部類、刑罰の時紙籏に罪状姓名を....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
はかなり困難なものであろう。 藤原氏だと言い出した事については、既に天野信景の塩尻において、もと氏を貫名ということから、井伊氏の一族に貫名を名乗るもののあるの....