塾生[語句情報] » 塾生

「塾生〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

塾生の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ロマネスク」より 著者:太宰治
道化とを聞きとることができたのである。紋服を着て珠数《じゅず》を持ち十人あまりの塾生のまんなかに背を丸くして坐って、三尺ほど前方の畳のへりを見つめながら三郎は考....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
同じ秀英塾に寝起している三高生を見ると、もう秀才というものに信用が置けなかった。塾生は十人いた。何れも四年からはいった秀才ばかりである。ところが、彼等はただ頭脳....
永日小品」より 著者:夏目漱石
て、肉の香《か》が箸《はし》に絡《から》まって来るくらいなところであった。それで塾生は幹事が狡猾《こうかつ》で、旨《うま》いものを食わせなくっていかんとしきりに....
学生時代」より 著者:幸田露伴
整理して諸種の便宜を生徒等に受けさせる塾監みたような世話焼が二三人――それは即ち塾生中の先輩でして、そして別に先生から後輩の世話役をしろという任命を受けて左様い....
パンドラの匣」より 著者:太宰治
呼び、副院長以下のお医者は指導員、そうして看護婦さんたちは助手、僕たち入院患者は塾生と呼ばれる事になっている。すべてここの田島場長の創案らしい。田島先生がこの療....
画学校時代」より 著者:上村松園
たので学校を辞められましたので、私も松年先生について学校をやめ、それから松年塾へ塾生として通うことにしました。 私は、それで一枝ものや鳥や虫をかかなくてもよい....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、ゆったりと吟じたそうです。淡窓の方針では、詩を吟ずることを教育の上に応用して、塾生の士風を涵養《かんよう》するにこれを用いたものです――朗詠が多く入っています....
百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
で三円で買って来た香風墨と云うのをおろし筆は有合せの絵筆細筆で間に合せ、硯の水は塾生が早朝に汲み上げて呉れた井戸の若水を用い、それから棚に向って用紙の品しらべを....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
州邸は相国寺に隣してかなり広い建物であった。 私は薩州邸の水本塾へ入ったが、同塾生は過半薩州人で、他に高松藩とか、鯖江藩とか、肥前鹿島藩とかの人もいた。塾長は....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
た。ある時は彼は塾を構えて有為の人材を養成した。坂本竜馬、陸奥宗光、いずれも彼の塾生であった。 しかし喬木風強し矣! 幕府の執政に疑がわれて「寄合い」の身に左....
次郎物語」より 著者:下村湖人
たのである。 同時にかれはきわめて当然の事として、かれ自身がその青年塾の最初の塾生になる事を考えていた。朝倉先生に師事しつつ、塾生の立場から塾風樹立の基礎固め....
絹と紙の話と師弟の間柄の話」より 著者:上村松園
で鳴る足駄の音で、先生の歩き方には一種独特の調子がありました。跫音を聞いただけで塾生達は皆先生のお帰りと知った程でした。ところがもう先刻先生はお帰りになった筈だ....
昔のことなど」より 著者:上村松園
近頃棲鳳は妙な絵を描き出しよって……」と言われたことがあったのを覚えていますが、塾生と言えばただ素直に師匠通りの絵を描いているものだとされた時代なのですから、栖....
栖鳳先生を憶う」より 著者:上村松園
かず風景と取り合わせた傾向のものが多かったようどす。先生は学校からお帰りになると塾生を親切に指導され、展覧会の出品もその後で描かれたもので、その親切さと御熱心な....
今日になるまで」より 著者:上村松園
しく着飾って歩いている人達の間を小走りに通りぬけて、次から次へ写してゆきました。塾生の間に松園の写生帖と言って評判が立ったのは、この時です。 京都では、美人画....