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士人
「士人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
士人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
三になった時、初めて自分の父が非業の死を遂げたことを聞いた。ことに、相手が対等の
士人でなくして、自分の家に養われた奴僕《ぬぼく》であることを知ると、少年の心は、....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
にひとりの士があって、親戚の別荘を借りて住んでいた。初めてそこへ着いた晩に、彼は
士人の常として、夜の二更(午後九時―十一時)に及ぶ頃まで燈火のもとに書を読んでい....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
論に従事せしものはおもに旧幕臣または維新以来江戸に居留せし人々に係る、地方土着の
士人に至りてはなお脾肉の疲せたるを慨嘆し、父祖伝来の戎器を貯蔵して時機を俟ちたる....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
でないことを明らかにせねばならない。当時漢訳から来た言葉ではあるが、新熟語として
士人の間に流行して来た標語に「万国公法」というがある。旧を捨て新に就こうとする人....
「緑衣人伝」より 著者:田中貢太郎
るも 未だ必ずしも羮を調うるに許多を用いず 秋壑はそれを聞いて、その詩を作った
士人を誹謗の罪に問うて獄に繋いだ。 秋壑はまたある時、浙西に於て公田の法を行う....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
、このおりにとまず英語に攻めかかれるなり。教師には手近の夫人|繁子。長州の名ある
士人の娘にて、久しく英国ロンドンに留学しつれば、英語は大抵の男子も及ばぬまで達者....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
であるお君の身の上にかかって来たことであります。 その風聞というのは、このごろ
士人一般の間に取沙汰せられている、お松の親愛なお君の方が、ほいとの娘だという噂で....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
南に渡っていた人びともだんだんに故郷へ立ち戻ることになった。そのなかで山陽地方の
士人ふたりも帰郷の途中、淮揚を通過して北門外に宿ろうとすると、宿の主人が丁寧に答....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
漢文や和歌国文は士太夫の慰みであるが、小説戯曲の如きは町人遊冶郎の道楽であって、
士人の風上にも置くまじきものと思われていた故、小説戯曲の作者は幇間遊芸人と同列に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
のは駒井能登守であります。今は能登守でもなければ勤番の支配でもありません。一個の
士人としては到底、世の中に立てなくなった日蔭者の甚三郎であります。 例の滝の川....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
こうして大挙してやって来たのであると。 穢多非人の分際として、苟《いやし》くも
士人の門前にかかる振舞をすることは、大抵ならば同情が寄せられないはずでありますけ....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
、独り三河武士の末流として徳川|累世の恩義に対し相済まざるのみならず、苟も一個の
士人たる徳義操行において天下後世に申訳あるべからず。瘠我慢一篇の精神も専らここに....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
際したのはそれほど深い親密な関係ではなかったろうが、町家の作者仲間よりはこういう
士人階級の方がかえって意気投合したらしい。が、君平や崋山としばしば音信した一事か....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
なる広重の江戸名所において自《おのずか》ら質素の生活に甘《あまん》じたる太平の一
士人《いちしじん》が悠々《ゆうゆう》として狂歌俳諧の天地に遊びし風懐《ふうかい》....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
惶謹言」 だが、その実演は、それほどすばらしくはなかった。もしこの絶望の武士が、
士人らの矢のなかに本当に身を投げ出したのだったら……数日後に、彼はチロオヌの軍に....