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「士川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

士川の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
富士」より 著者:岡本かの子
、一人の若い女が、一人の若い男に出会った。 頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟《さがむ》国と呼ばれていた時代のことである。 若い男は武装して....
雪中富士登山記」より 著者:小島烏水
た手拭は、板のように硬くシャチ張っている。 一同は杖に倚《よ》って、水涸れの富士川を瞰下《みおろ》しながら、しばらく息を吐く。 四 雪の厚さは二....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
のだね」 「きのうの朝、立ちました」 「それじゃあすぐには帰るめえ」 「帰りは富士川下りだと云っていました」 「ことしの正月に、石町の金蔵を捕りに行ったのは、誰....
河口湖」より 著者:伊藤左千夫
いよ」 「そいからあなた、十里四方もあった甲斐の海が原になっていました。それで富士川もできました。それから富士山のまわりところどころへ湖水がのこりました。お富士....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
守頼光より四代の孫源三位頼政の後裔馬場美濃守信房」と名乗った。塙九郎左衛門直政の士川井三十郎突伏せて首を挙げたが、信房は敢て争わなかった。年六十二。自らの諫言を....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
伝い致しますぜ」 「生きておったか。幸いじゃ。早う舟を用意せい」 「合点だッ。富士川を下るんですかい」 「身共ではない。ここに抱き合うておいでの花聟僧に花嫁僧お....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
に、湖水をたたえたような雲は、山の落ち口に添うてはい下る。甲府盆地の方向から、富士川下流の方へと両端を垂下して、陰鬱なる密集状態を作っているところは、まさに来ら....
浮かぶ飛行島」より 著者:海野十三
そもなに者であろう――いうまでもなく、さきに梨花としめし合わせておいたわれ等の勇士川上機関大尉の巧みな変装であったのだ。 「おお、あなたは。――」 とベッドの....
神サマを生んだ人々」より 著者:坂口安吾
の片割れではありますまいな」 「ヤ。そう見えるのも無理がない。実は当温泉居住の文士川野水太郎君を訪ねてきたのだが、あいにく同君夫妻は旅行中。このまま帰るのも残念....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
へ逃げ、その信州の追分で、甚三殺しと関係い、その後ずっと甲州へ隠れ、さらに急流富士川を下り、東海道へ出現し、江戸は将軍お膝元で、かえって燈台|下暗しというので、....
勧善懲悪」より 著者:織田作之助
なやり口を見て、おれは、さすがに考えやがったと思ったが、しかし、その攻撃文に「国士川那子丹造」という署名があるのを見て、正直なところ泪が出た。 しかし、これも....
香魚と水質」より 著者:佐藤垢石
張して譲らない。 久慈川沿岸の人にいわせれば、久慈川の鮎を日本一なりと誇り、富士川沿岸へ行けば富士川の鮎は絶品なりと自慢する土地の人は、そのよってきたる理由を....
香魚の讃」より 著者:佐藤垢石
として清淡なる海道随一の称があるのである。 七 日本三急流の一つである富士川に育つ鮎は、また素晴らしく大きいのである。 笛吹川は甲武信岳の方から、釜無....
」より 著者:佐藤垢石
から、磐城国植田駅から御斎所街道へ西へ入った鮫川の上流へも伴って行った。駿河の富士川へも、遠州の奥の天龍川へも、伊豆の狩野川へも連れて行って腕をみがかせたのであ....
白峰の麓」より 著者:大下藤次郎
て幽かなものであった。 二 甲州西山は、白峰の前岳で、早川の東、富士川の西に介在せる、五、六千尺の一帯の山脈である。この峠に立ったなら、白峰は指呼....