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壬申
「壬申〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
壬申の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
帰したもので、大局から言えば成敗共にうらみなき合戦であった。 ところが、白鳳|
壬申《じんしん》の秋の不破の関の悲劇は、その恨みが綿々として千古に尽きない。 ....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
四三六)等がある。 十市皇女は大友皇子(弘文天皇)御妃として葛野王を生んだが、
壬申乱後大和に帰って居られた。皇女は天武天皇七年夏四月天皇伊勢斎宮に行幸せられん....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ウであったね。 長子相続は大化改新からだそうだが、どうだかね。しかし、いきなり
壬申の乱が起ったほどだから、どうも天皇家の相続はうるさいね。藤原一族が勢力を得て....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
は白鳥となってなくなり、大友皇子は首を敵に持って行かれてしまう。 さて、ここで
壬申の乱、天武天皇と大友皇子の戦争のところの文章を見ていただきたいのです。天武天....
「親鸞」より 著者:三木清
く両説をあぐ。一には法上師等、周異記によりていはく、仏、第五の主、穆王満五十三年
壬申にあたりて入滅したまふ。もしこの説によらば、その
壬申よりわが延暦二十年辛巳に....
「上野」より 著者:永井荷風
野と改め近江の郷里より上京し、不忍池畔に一楼を構えて新に詩社を開いた。是明治五年
壬申の夏である。湖山は維新の際国事に奔走した功により権弁事の職に挙げられたが姑く....
「葛飾土産」より 著者:永井荷風
気がしたので、立寄って見ると、正面に「葛羅之井《かつらのい》。」側面に「文化九年
壬申三月建、本郷村中世話人惣四郎」と勒《ろく》されていた。そしてその文字は楷書で....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
縁起』にある通り、天武帝崩御前は非常に注目すべきものとなるであろう。 天武帝は
壬申の乱を通じて即位せられたために、古来史家の間にさまざまの論議をひき起こしては....
「法然行伝」より 著者:中里介山
午の正中のことであった。春秋満八十歳、釈尊の入滅の時と年も同じ、支干もまた同じく
壬申《みずのえさる》であった。 武蔵国の御家人桑原左衛門入道という者、吉水の房....
「古事記」より 著者:太安万侶
という稱號を賜わりました。また伊波禮部をお定めなさいました。天皇は御年六十四歳、
壬申《みずのえさる》の年の正月三日にお隱れになりました。御陵はモズにあります。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
、ことし五十四歳。 千古に記すべきその日その年、まさに漢の献帝が代の初平三年|
壬申、四月二十二日の真昼だった。 大奸を誅して、万歳の声は、禁門の内から長安の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
いつも近江路と大津の中間、瀬田川の瀬田ノ大橋、また宇治川が、攻守決戦の境になる。
壬申ノ乱の大海人の皇子軍。木曾義仲の寿永の都入り。承久ノ乱の北条勢と朝廷|方。 ....