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多病
「多病〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
多病の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
細《しさい》とが認《したた》めてあった。「私儀《わたくしぎ》柔弱《にゅうじゃく》
多病につき、敵打の本懐も遂げ難きやに存ぜられ候間《そうろうあいだ》……」――これ....
「政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
ュー/\風で、貴公《あなた》はお幾歳《いくつ》です」 清「いえ何《ど》うも誠に
多病の人間で、大きに病魔《やまい》の為《た》めに老けて見られますんですが、未だ四....
「さようなら」より 著者:田中英光
百日咳、ジフテリヤ、チフス、赤痢、おまけに狂犬にさえ噛まれた経験さえあるほど多災
多病で、時々めまいがして卒倒したり、二六時中、生命の危険に直面させられていた。 ....
「硝子戸の中」より 著者:夏目漱石
いる。 私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。
多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先....
「思い出す事など」より 著者:夏目漱石
りすると同程度に悲惨な煩悶《はんもん》が含まれている。ニーチェは弱い男であった。
多病な人であった。また孤独な書生であった。そうしてザラツストラはかくのごとく叫ん....
「新生」より 著者:島崎藤村
いう祖母さんは、三年このかた節子の瘠《や》せ衰えたのを一つの不思議のようにして、
多病な彼女のためにいろいろと気を揉《も》んでいた。
義雄に取って、祖母さんは義....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
彼が一生のつまずきになるほどの一大珍事が出来した。十三代将軍(徳川|家定)は生来
多病で、物言うことも滞りがちなくらいであった。どうしてもよい世嗣ぎを定めねばなら....
「蒲団」より 著者:田山花袋
その白い顔には確かにある深い神秘が籠められてあった。 四月に入ってから、芳子は
多病で蒼白い顔をして神経過敏に陥っていた。シュウソカリを余程多量に服してもどうも....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ある――それはそれとして、それに従う問題の小太刀の小天狗、沖田総司にしてからが、
多病才子の面影充分なのですから、土方がお角さんに向って、新撰組は色男揃いだとのろ....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
ころのものは、医者となることよりむしろ病人となることだった。二十三歳で彼は自分を
多病者と思い込み、鏡に舌を写して見ることに日を送っていた。人間は針のように磁気に....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
下となった。小刀もよく切れ、原型をやっても旨く、美術協会で銀賞を得たこともあるが
多病と生活に追われぬためかえって製作は少なく、今日は意に適する程度にやっているが....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
神の社からあらわれて、柱巻きの見得をしたとかいうことであった。この海老蔵はとかく
多病で、舞台の上ではあまり捗々しいこともなく、それから四、五年の後――明治十九年....
「西瓜」より 著者:永井荷風
の身は世間一般の人のように、善良なる家庭の父となり得られるはずはないようである。
多病の親から
多病ならざる子孫の生れいづる事はまず稀であろう。病患は人生最大の不幸....
「夏の町」より 著者:永井荷風
句を挿《さしはさ》み、自叙体の主人公をば遊子《ゆうし》とか小史とか名付けて、薄倖
多病の才人が都門の栄華を外《よそ》にして海辺《かいへん》の茅屋《ぼうおく》に松風....
「つゆのあとさき」より 著者:永井荷風
が、とにかく旧華族の家柄なので、世間の耳目を憚《はばか》り親族は夫の帰朝を待たず
多病といいなして鶴子を離別した。鶴子の家にはその時既に両親がなく、惣領《そうりょ....