多羅[語句情報] » 多羅

「多羅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

多羅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
た。 その混雑の中をくぐって、塩竈神社の石段を登った。ここの名物という塩竈や貝多羅葉樹や、泉の三郎の鉄燈籠や、いずれも昔から同じもので、再遊のわたしには格別の....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
顧の憂を絶ち、弟羽柴秀長、稲葉一徹等を第一軍(二万五千)として、近江甲賀郡|土岐多羅越より、甥三好秀次、中村|一氏等を第二軍(二万)として大君畑越より、秀吉自ら....
出家とその弟子」より 著者:倉田百三
迦牟尼仏能為甚難希有之事。能於娑婆国土五濁悪世、劫濁見濁煩悩濁衆生濁命濁中得阿耨多羅三藐三菩提。為諸衆生説是一切世間難信之法。舎利弗。当知我於五濁悪世行此難事得....
般若心経講義」より 著者:高神覚昇
が、これからお話しするところは、 「三世の諸仏も、般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三|藐三|菩提を得たもう」 という一節であります。さて、三世の諸仏というこ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
真行草があります。余は略す。 台坐には、十一坐、九重坐、七重坐、蓮坐、荷葉坐、多羅葉坐、岩坐、雲坐、須弥坐、獅子吼坐、円坐、雷盤坐等で、壇には護摩壇、須弥壇、....
花吹雪」より 著者:太宰治
かりに、恋敵の五百人の若者たちと武技をきそい、誰も引く事の出来ない剛弓で、七本の多羅樹と鉄の猪を射貫き、めでたく耶輸陀羅姫をお妃にお迎えなさったとかいう事も聞い....
旅日記から」より 著者:寺田寅彦
着くと子供が蓮の花を持って来て鼻の先につきつけるようにして買え買えとすすめる。貝多羅に彫った経をすすめる老人もある。ここの案内をした老年の土人は病気で熱があると....
超人間X号」より 著者:海野十三
「うんにゃ、それよりも鎮守《ちんじゅ》さまのうしろに住んでいる巫女《みこ》の大多羅尊《だいだらそん》さまに頼んで、博士さまについている神様をよびだして、その神....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
脚気モヨクナッテ来タカラ、息子ガ九ツノ年御殿カラ下ゲタガ、本ノケイコニ三ツ目所ノ多羅尾七郎三郎ガ用人ノトコロヘヤッタガ、或日ケイコニ行ク道ニテ病犬《やまいぬ》ニ....
落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
風来坊が住みついて、全然自分勝手に再興したからであった。 この中興の風来坊を調多羅坊というのである。彼は比叡山の山法師のボスで、ナギナタの名人であった。刃渡り....
智恵子の半生」より 著者:高村光太郎
る地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながらいふ。 阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
何人も否定しないであろう。 流行神の例としては、応徳二年の福徳神、天慶八年の志多羅神など、ことにいちじるしいもので、ともに京都で大騒ぎを演じたものであった。中....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
のお舎利を上げて貰いたい」と言って舎利をおさめた銀製の塔とその捧呈書とそれから貝多羅葉の経文一巻を託されました。でダンマパーラ居士の言われるには「私も一遍チベッ....
特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
とか、漁夫――漁夫もまた見様によっては屠者の族で、漁家の出たる日蓮上人は、自ら旃多羅の子だと言っておられる。――とかの仲間の多数が概して仏教に縁が遠かったと想像....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
書いてある、 舎利国大王、縁太郎王子と申候。云々。 別本にはこの縁太郎王子を円多羅ともあって、エタという言葉の語原を説明すべく設けた名らしい。 さらに「別本....