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大厄
「大厄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大厄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「酒中日記」より 著者:国木田独歩
しいこの酒を何故飲なかったろう。 五月八日 明くれば十月二十五日自分に取って
大厄日。 自分は朝起きて、日曜日のことゆえ朝食《あさめし》も急がず、小児《こど....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
つあたわざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無学をもって世界における二
大厄とし、マーカス・オーレリアスは女子は制御し難き点において船舶に似たりと云い、....
「どんぐり」より 著者:寺田寅彦
たので、この五月には初産《ういざん》という女の大難をひかえている。おまけに十九の
大厄《たいやく》だと言う。美代が宿入りの夜など、木枯らしの音にまじる隣室のさびし....
「新生」より 著者:島崎藤村
。
岸本の四十二という歳《とし》も間近に迫って来ていた。前途の不安は、世に男の
大厄《たいやく》というような言葉にさえ耳を傾けさせた。彼は中野の友人に自分を比べ....
「去年」より 著者:伊藤左千夫
不景気騒ぎには、さいわいにその荒波に触るるの厄をまぬがれてきたのだが、去年という
大厄年の猛烈な不景気には、もはやその荒い波を浴びない者はなかった。 売れがわる....
「わが町」より 著者:織田作之助
よいよという際になって、わいを枕元に呼び寄せて、――伜お前は来年は厄年やぞ。この
大厄を逃れようと思たらよう精進するんやぞと意見してくれたのを守らなかったばっかり....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
たと聞き伝えるが、朝夕継母の身として案じてやるとある。その手紙のつづきには、男の
大厄と言わるる前後の年ごろに達した時は、とりわけその勘弁がなくては危ないとは、あ....
「小鈴」より 著者:宮本百合子
、異性に向う心持は、やはり四十歳ごろ一つの変転を経るのが一般らしい。三十三が女の
大厄と昔のひとの云ったのは、案外そこいらの機微にふれているのかとも思う。 昔の....
「関牧塲創業記事」より 著者:関寛
斃馬五十六頭なり (四) 明治三十八年 一月一日 昨三十七年は我家の
大厄難たるも、幸にして漸く維持を得たるを以て、尚本年は最も正直と勤倹とを実行し且....
「源氏物語」より 著者:紫式部
れしくお思われにもなるのであったから、まだ少女といってよいほどの身体で、その女の
大厄を突破せねばならぬ御女のことを、早くから御心配になっていたが、二月ごろからは....
「人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
六年、一七六六年、一七七八年、一七八二年及び一七八三年は、いずれも各所で、欠乏の
大厄年として指摘されている。一六八〇年には、この原因のために極めて多数の家族が死....
「迷信解」より 著者:井上円了
歳、三十三歳、三十七歳を厄年とす。なかんずく、男は四十二歳、女は三十三歳をもって
大厄と申しておる。そのはじめはシナにて起こりたることなれども、なにによりてかく定....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
あひかはらず御風味|被成下候様|奉希候以上 以上の文句の通りに軽々と疱瘡痲疹の
大厄を済まして芥子ほどの痘痕さえ残らぬようという縁喜が軽焼の売れた理由で、淡島屋....
「深川の唄」より 著者:永井荷風
しまった。無論大した怪我《けが》ではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の
大厄難、後《うしろ》の綱のはずれかかるのを一生懸命に引直《ひきなお》す。車は八重....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
兄弟がことごとく無事に揃うて成人したというのは殆ど稀である。昔の子供は疱瘡という
大厄を控えていた。旧派の演劇で非業に子を失った母親の愁嘆場には、往々にして「疱瘡....