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大友
「大友〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大友の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十円札」より 著者:芥川竜之介
していた東京へ出かける日曜日はもうあしたに迫っている。彼はあしたは長谷《はせ》や
大友《おおとも》と晩飯を共にするつもりだった。こちらにないスコットの油画具《あぶ....
「恋を恋する人」より 著者:国木田独歩
はな》しているのを見た。見て行き過ぎると、甲《ひとり》が、 「今あの店にいたのは
大友君じゃアなかッたか?」 「僕も、そんな気がした。」 「後姿が似ていた、確かに....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
|直員から始まっている、降矢木家の紋章なんだよ。何故、豊後王|普蘭師司怙・休庵(
大友宗麟)の花押を中にして、それを、フィレンツェ大公国の市表章旗の一部が包んでい....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
て京城へと落ち延びた。寒気厳しい最中の退却であるから惨憺たる有様であった。鳳山の
大友|吉統は、平壌囲まると聞くや仰天して、行長より一足お先に京城へ逃げ込んだ。太....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
かった。ああ悪の美の牽引力! ……四国へはいっては長曽我部へ仕え、九州へ渡っては
大友家へ仕え、肥前へ行っては竜造寺家へ仕え、薩摩へ入っては島津家に仕えた。……そ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
えのいわゆる「間遠《まどお》の渡し」であります。上古は畏《かしこ》くも天武天皇が
大友皇子の乱を避けて東《あずま》に下り給いし時、伊勢より尾張へこの海を渡られたが....
「死者の書」より 著者:折口信夫
なみの大津の宮に人となり、唐土の学芸に詣り深く、詩も、此国ではじめて作られたは、
大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝えられる御方。 近江の都は離れ、飛鳥の都の....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
の守る山の末枯れ為無な常葉にもがも」(巻十四・三四三六)等がある。 十市皇女は
大友皇子(弘文天皇)御妃として葛野王を生んだが、壬申乱後大和に帰って居られた。皇....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
て大和から追われた嫡流の皇子は故郷たるヒダへ逃げこんで戦って亡されました。それが
大友皇子にも当るし、聖徳太子か、太子の嫡男たる山代王にも当るし、日本武尊にも当る....
「ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格」より 著者:坂口安吾
が飛んで、ザヴィエルは臼杵の殿様に会うことになりました。 この殿様というのが、
大友|義鎮、後に宗麟と名を変えた人であります。この対面の時というのが、実に大変な....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
祖より家宝として伝え来った楢柴という茶入があった。最初にそれを所望したのは豊後の
大友宗麟であったが宗湛はニベも無く断わった。次に秋月種実が強迫的に得ようとしたが....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
げた。 それは六歌仙の絵であった。……在原業平、僧正遍昭、喜撰法師、文屋康秀、
大友黒主、小野小町……六人の姿が描かれてある。 この謎語なんと解こう ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
当に確立の緒についたとみられる天武持統の両御夫妻帝(天武は天智の弟で、天智の御子
大友親王≪弘文天皇≫を仆して皇位に即き、実質的には現天皇家の第三祖に当られる御方....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
とこんな短なものになってしまった。 その後漱石氏はまた一度京都に遊んで、祇園の
大友という茶屋で発病してその家に十数日横臥し、介抱のために妻君が西下して来たよう....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
合戦の最中に、二条中将為冬卿が武士を軽蔑したとかいうのが不平の基で、西国の小弐、
大友や中国の佐々木、塩冶の一族は、にわかに味方にうしろ矢を射かけて足利方に裏返っ....