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大学院
「大学院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大学院の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ケーベル先生」より 著者:夏目漱石
った。先生は自分で六十三だと云われた。余が先生の美学の講義を聴きに出たのは、余が
大学院に這入った年で、たしか先生が日本へ来て始めての講義だと思っているが、先生は....
「赤外線男」より 著者:海野十三
製作にとりかかった。 それは丁度新学期であった。この研究所内も上級の大学生や、
大学院学生、さては助手などの配属の変更があって、ゴッタがえしをしていた。 赤外....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
単科大学(今日の専門学校に相当する)を主体とし、特に学術研究の志しあるものだけが
大学院(今日の総合大学に相当する)に入学すること、というのであり、要点の第三は、....
「ルクレチウスと科学」より 著者:寺田寅彦
ないのである。その結果はどうであるか。たとえば物理学の課程を立派に修得し、さらに
大学院に入り五年間の研究の成果によって学位を得た後においても、何が物理学であるか....
「科学と文学」より 著者:寺田寅彦
生きて行くためにいちばん適当な世界のように思われたのであった。 大学を卒業して
大学院に入り、そうして自分の研究題目についていわゆるオリジナル・リサーチを始めて....
「読書の今昔」より 著者:寺田寅彦
気がいいが、書物のほうはさびしい。 「二人行脚」の著者故|日下部四郎太博士がまだ
大学院学生で岩石の弾性を研究していたころのことである。一日氏の机上においてある紙....
「雪魔」より 著者:海野十三
は、それが何のことやら分らなかった。しかし一造兄さんといえば、東京の何とか大学の
大学院学生で、いつもこんな科学実験をやっている人だった。だからそういうことがかく....
「金属人間」より 著者:海野十三
い》の四人は、戦争中に疎開先《そかいさき》で戦災《せんさい》にあって死に、東京で
大学院学生兼助手をして残っていた、かれ左馬太だけが生き残っているのである。そうい....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
て文学部や農学部の比ではないのだ。而もこの卒業生の大多数が、副手や助手として、又
大学院学生として、研究室に残る。研究室に這入ったが最後、特に先生と喧嘩でもしない....
「工学博士末広恭二君」より 著者:寺田寅彦
の相手をした。卒業後長崎三菱造船所に入って実地の修業をした後、三十四年に帰京して
大学院に入り、同時に母校の講師となった。その当時理科大学物理学科の聴講生となって....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
一七 外国政府及会社 一八 海外留学 一六五
大学院 一二八 自家営業 二八 兵役 ....
「キド効果」より 著者:海野十三
」と木戸博士は首を左右に振った。「この興奮曲線を取るには非常な熟練が要るのじゃ。
大学院を出てきた君にすら、こうはうまく取れない筈じゃ」 理学士の称号を貰い、三....
「回顧と展望」より 著者:高木貞治
と,大分自由であったと謂える.それで,後の二年間は全く自由に暮して,最後の一年は
大学院で,結局四年大学におったが,その間にいろいろな本を読んだのであるが,指導者....
「寺田先生の追憶」より 著者:中谷宇吉郎
ることになっていた。その外にY君という一年先輩の人があって、丁度その年卒業して、
大学院に残って、水素の爆発の研究をしていた。私は前からY君をよく知っていた関係も....
「色盲検査表の話」より 著者:石原忍
なったかということについて簡単に申し上げましょう。 今からおよそ三十年前、私が
大学院に在学いたしました時に、私は一人の全色盲の患者を検査して、その成績を眼科学....