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「大宮人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大宮人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
俊寛」より 著者:菊池寛
仕送りで、ほそぼそながら、朝夕の食に事を欠かなかった。そのためでもあるが、三人は大宮人の習慣を持ちつづけて、なすこともなく、毎日暮していた。俊寛は、そうした生活....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
しつつ、明けく治る御世の、今年はも十あまり三とせ、瑞枝さす若葉の夏に、ももしきの大宮人の、人さはに御供つかへて、東の京をたたし、なまよみの甲斐の国、山梨の県を過....
白金之絵図」より 著者:泉鏡花
掛けて好きでござる。そればかりは決して御辞儀申さぬぞ。林間に酒こそ暖めませぬが、大宮人の風流。」 と露店でも開くがごとく、与五郎一廻りして毛布を拡げて、石段の....
茸の舞姫」より 著者:泉鏡花
る…… が、大人に道徳というはそぐわぬ。博学深識の従七位、花咲く霧に烏帽子は、大宮人の風情がある。 「火を、ようしめせよ、燠が散るぞよ。」 と烏帽子を下向け....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
、帰幽後ざっと八十|年位にしかならぬとのことでございました。父親は相当高い地位の大宮人で、名は狭間信之、母親の名はたしか光代、そして雛子は夫婦の仲の一粒種のいと....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
正しい鑑賞は出来ない。 ○ ささなみの志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ 〔巻一・三〇〕 柿本人麿 柿本人麿が、近江の宮(天智天皇....
仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
弄、すなわち海の螺貝を採り、廻しましたのがそのはじまり、本朝に渡来いたしまして、大宮人のお気に召し、木作りとなって喜遊道具、十八種の中に数えられましたが、民間に....
柳原燁子(白蓮)」より 著者:長谷川時雨
た時代、上流の俊髦《しゅんぼう》前光卿は沐猴《もくこう》の冠《かん》したのは違う大宮人《おおみやびと》の、温雅優麗な貴公子を父として、昔ならば后《きさき》がねと....
なよたけ」より 著者:加藤道夫
たろう? 移ろい易い栄華の世界が彼にとっては何でしたろう? 花をかざして練り歩く大宮人の中に、ただ彼のみは空しくもまことのこころを求め続けていたのです。美しい夢....
宇都野さんの歌」より 著者:寺田寅彦
を取り去ってはやはり作者の影が稀薄になるかと思う。 宇都野さんの歌はどう見ても大宮人の歌ではない、何処かしら東夷とでも云いたいような処があると私は思う。その点....
丸の内」より 著者:高浜虚子
なつかしく思う。柱の下の瓶には薄紅梅が生けてある。その薄紅梅の花を見ると平安朝の大宮人を連想する。 海上ビルデングの建物が行幸道路を隔ててそびえている。すぐ近....
三枚続」より 著者:泉鏡花
えているが、それさえ人柄に依って威厳的に可恐しゅうはなく、かえって百人一首中なる大宮人の生したそれのように、見る者をして古代優美の感を起さしむる、ただしちと四角....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
き集めたることとて、笑はるる方も候はんずらん。 とあるがごときこれなり。これらは大宮人が安倍宗任を夷なりと嘲り、藤原清衡がみずから東夷の遠酋、俘囚の上頭をもって....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ふ夕暮のかすむ雲井に消ゆるかりがね 永福門院 さくら花はやさかりなり百敷の大宮人は今かざすらし 伏見院 明石がた沖にかたぶく月影に雲こそなけれ浪....
釜沢行」より 著者:木暮理太郎
情熱の高潮に達し易い此頃の人の心を表わしているようだ。此際頬杖でも突きながら昔の大宮人のように官能の甘い悲哀に耽るのも、人間に対する自然の同情を無にしたものでは....