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「大宮司〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大宮司の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
五十余名が戦死した。季忠は此時二十七歳であったが、信長あわれんでその子孫を熱田の大宮司になしたと云う。前田利家はこの戦以前に信長の怒りにふれている事があったので....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
としたものがそこにあった。それはやはり同門の人たちの動静を語るもので、今は松尾|大宮司として京都と東京の間をよく往復するという先輩師岡正胤を中津川の方に迎え、そ....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
祭ったもので、久しい以前から唯一神道でいて、社は皆|檜皮葺《ひわだぶき》、神官も大宮司と称して位も持っており、その下にも神官が数々居て、いずれも一家を構えて住ん....
蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
も絶されん、祖の為子孫の為には、不孝の子一人|惜からじ、明は訴え出でよ」と云って大宮司の許へ訴えさした。大宮司の許へ来て盗人の詮議をしていた助の君文室広之は、武....
私本太平記」より 著者:吉川英治
「ただではすむまい。いッそ迎え潮と申すもの」 と覚悟して、日ごろの盟友、阿蘇ノ大宮司惟直ともしめしあわせ、まず彼のみ家の子郎党三百余騎をつれて、博多へ出た。そ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
くを観ている。 たとえば。 西国の手当にしても、彼は、在京中の少弐頼尚や宗像大宮司氏範らをさしむけて、豊前、筑後、肥後の兵を催させていたが、それらの将にたい....
私本太平記」より 著者:吉川英治
胤 宇都宮|公綱 菊池肥後守武重 大友左近将監 塩冶の判官高貞 熱田ノ大宮司、薩摩守義遠などの百数十家、所領の分布からみても全国にわたっていた。まさに....
私本太平記」より 著者:吉川英治
――そしてここまでは来たのだが――赤間を船出する前に、 「肥後の菊池武敏、阿蘇の大宮司惟直などの宮方が、太宰府の手うすを知って、水木の渡しをこえ、俄に、大軍を駆....