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「大日本史〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

大日本史の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
正行の如き純粋な忠臣に於てをやだ。楠公万能の義公であるから仕方がないとしても、『大日本史』までもが『太平記』の真似をして「同盟の姓氏を如意輪堂の壁に題し、歌を其....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
には算していないで、神通道力というように取扱い来っている。小角は道士羽客の流にも大日本史などでは扱われているが、小角の事はすべて小角死して二百年ばかりになって聖....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
をよろこばせたのであった。彼はあの源敬公の仕事を水戸の義公に結びつけて想像し、『大日本史』の大業を成就したのもそういう義公であり、僧の契沖をして『万葉|代匠記』....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
うちで藩論の分裂しないところとてもなかった。水戸はことにそれが激しかったのだ。『大日本史』の大業を成就して、大義名分を明らかにし、学問を曲げてまで世に阿るものも....
惜別」より 著者:太宰治
本の維新は、科学の力で行われたものではない。それは、たしかだ。維新は、水戸義公の大日本史|編纂をはじめ、契沖、春満、真淵、宣長、篤胤、または日本外史の山陽など、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ざることがあって、池田光政あたりと通謀して、天下を乗取ろうとした腹黒い奴である。大日本史を編んだり、楠公《なんこう》の碑をたてたり、また、いやに農民におべっかを....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
厭気がさし、数年後まで披けて見ることもせなかった。 それから、日本の歴史では『大日本史』は従来の歴史に北朝を正統としたのを、南朝が正統として書かれている。これ....
志士と経済」より 著者:服部之総
三人が、日に一食か二食で暮せるうちはまだしもよかったが、後にはそれさえ窮して、『大日本史』数葉を書写して門人の鳴尾《なるお》(順造)に二朱で売ってやっと粥を炊い....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
集』伝統を新しく中世の「詩」の基底にたたき込んだからである。 註 俊成のことは『大日本史料』の俊成薨去年月日の所、『公卿補任』『尊卑分脈系図』を見られるとよい。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
古くからの寺院は多いが、どうも伊吹山四院とその頃よばれていたうちの一寺らしい。「大日本史」にこういう記載がある。 元弘三年五月中 光厳帝、後伏見、花園 六波羅ヲ....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
も残ってはいませんがね、私の家にも水戸家にも、こんな言い伝えが昔からある。例の“大日本史”ですネ。尊氏が逆賊と決定づけられたのも、あれからですが、その編纂を督し....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
外におくとしても、日蓮をエタの子だと云ったものは他にもかなり多いのである。既に「大日本史」にも、「日蓮安房人、屠者子の子なることには、閉口して争わなかったと云い....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
たというので、自ら「旃陀羅の子」すなわち「エタの子」であると云っている。それで「大日本史」などには、日蓮は屠者の子なりと書いてあるが、決していわゆる屠者の家より....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
(『淡海木間攫』)とある。 唱門師を大夫といった例は、古くは『経覚私要鈔』(『大日本史料』引)応仁二年二月二十七日条に、「高台寺辺京の若大夫と申声聞|曲舞云云....
美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
い。それだけにまた自然でもある。そしてその草稿その物は、正倉院関係の諸書や、また大日本史大系などにも写真版になってまま収載されているが、よく見ると、机の向う側か....