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大義
「大義〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大義の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。
又
民衆は
大義を信ずるものである。が、政治的天才は常に
大義そのものには一文の銭をも抛《なげ....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
の威を借りて、私欲を欲しいままにしようという狐どもじゃ。そういう連中の振りかざす
大義名分に恐じ怖れて、徳川御宗家を見捨てるという法があろうか。御先祖頼重公が高松....
「乱世」より 著者:菊池寛
阪表の始末|柄、在所表へ相聞え、深奉恐入候に付き上下一同謹慎|罷在候。抑も尊王の
大義は兼て厚く相心得罷在候処|不図も、今日の形勢に立至り候段、恐惶嘆願の外無御座....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
鉄砲がなくて、槍と弓だけであったならば旨く行きません。信長は時代を達観して尊皇の
大義を唱え、日本統一の中心点を明らかにしましたが、彼は更に今の堺から鉄砲を大量に....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
り。 くたくたになりて眠る。 八月十六日 ◯湊君、間宮君、倉光君くる。湊君「
大義」を示して、われを諭す。 ◯死の第二手段、夜に入るも入手出来ず、焦慮す。妻と....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
、毛利元就が主君の為めに、陶晴賢を誅した事になっているが、秀吉の山崎合戦のように
大義名分的なものではないのである。兎に角元就は、一度は陶に味方をしてその悪業を見....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
すかは頗る問題となるから、それより秀吉の言の如く、嫡孫の三法師殿を立てるのが一番
大義名分に応って居るように思われる。其上、今度主君の仇を討った功労者は、秀吉であ....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
伊藤の「流転」、「忠次旅日記甲州篇」、現代劇で「彼を繞る五人の女」、阪妻の「
大義」、右太衛門の「紫頭巾」、片岡千恵蔵の「万華地獄」などである。そうしてそれら....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
賊に附したり。関城書は、親房が関城に孤立せし際、親朝がまだ形勢を観望せるに当り、
大義を説きて、その心を飜へさむとせしもの也。辞意痛切、所謂懦夫を起たしむるの概あ....
「沼畔小話集」より 著者:犬田卯
「会議」を開いて彼に忠告した。村長や警察まで心配して――なんとなれば彼は国民の三
大義務の一つ、納税なるものを果さなかったので――威嚇した。三反歩の方の地主は強硬....
「迷信解」より 著者:井上円了
遺恨ありとて、生きてはつき死してはつきて、そのうらみを自由に報い得ることならば、
大義にかかる源義経、武蔵坊弁慶などは、早速に梶原をとり殺し、
大義の本意を達すべき....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
ても、決して官軍と蝦夷とが相対して戦争したのみではありません。蝦夷の中にもつとに
大義名分をわきまえ、官軍に属しているのが多かったのであります。しかし彼らの中には....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
を与えられて、共に仏教の光輝を世界に輝かさんことを力むるは、実に仏教徒たる者の最
大義務にあらずや。私は大いにこの事を希望して已まんものであると説き、それからセイ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
悲運を感じた感傷であった。私のいいたい点を諸君はすでに察しられたであろうか。私は
大義名分の上から見て、吉野朝の悲運を導いた、尊氏の叛逆を認容できないが、だからと....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
国人にまで納得させる自信を得るまでは安心できないのである。一時は筧博士の「古神道
大義」という私にはむずかしい本を熱心に読んだことも記憶にあるが、遂に私は日蓮聖人....