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大菩薩峠
「大菩薩峠〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
大菩薩峠の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文放古」より 著者:芥川竜之介
ると、やっぱり田舎《いなか》の文学通だけにどこか見当が違っているのね。たとえば「
大菩薩峠《だいぼさつとうげ》」なんぞも一代の傑作だと思っているのよ。そりゃまだ好....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
も、旅費は二十円を越えたことはなかった。僕はやはり西川といっしょに中里介山氏の「
大菩薩峠」に近い丹波山という寒村に泊まり、一等三十五銭という宿賃を払ったのを覚え....
「縮図」より 著者:徳田秋声
が張り加減で、銀子もお世辞を言われて、少し胸の悪いくらいであった。 出しものは
大菩薩峠に温泉場景などであったが、許嫁の難を救うために、試合の相手である音無し流....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
来の型の如き型を破った髷物《まげもの》小説は、僅かに、指折ってみて、中里介山の「
大菩薩峠」(都新聞)、国枝史郎の「蔦葛木曾桟《つたかずらきそのかけはし》」(講談....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
この小説「
大菩薩峠」全篇の主意とする処は、人間界の諸相を曲尽《きょくじん》して、大乗遊戯《....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
た。 暫らく手入れをしなかったが名刀の光は曇らず、それを見ていると過ぎにし年の
大菩薩峠の悲劇がありありと思い出されるのです。こうして短刀を眺めながら、ひとりつ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
「お松坊か――お松坊であったか」 「はい」 お松の姿は、三度変っている。第一は
大菩薩峠の頂で猿と闘った時の笈摺《おいずる》の姿、第二は神尾の邸に侍女《こしもと....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
三五年七月著作権審査会官制の実施の旨を公布した。之は改正著作権法に基くもので、『
大菩薩峠』の※絵著作権問題のもつれもあったことだし(之は告訴取り下げでウヤムヤに....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
「餞別《せんべつ》というほどでもねえが、裏街道を通って萩原入《はぎわらい》りから
大菩薩峠を越す時に、峠の上の妙見堂から丑寅《うしとら》の方に大きな栗の木があるか....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ちと遠い」 「御遠方でございますか」 「武蔵の国」 「そんならば、あの、こちらの
大菩薩峠を越ゆれば、そこが武蔵の国でございます」 「ああ、そうだ」 竜之助は荒....
「勉強記」より 著者:坂口安吾
のとき二十一歳だったが、それでも誰だったかの話によると、その前年のことであるが、
大菩薩峠にほど近い奥多摩山中の掘立小屋、これは伴某という往年の夢想児が奥多摩の高....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
りの手段を尽して永久に謝絶禁断してしまいたい事。 第三 余の蔵書遺物等はすべて
大菩薩峠紀念館に永久に保存して貰うのが当然だがそれには紀念館を法人にするとか、多....
「百万人の文学」より 著者:坂口安吾
一郎が高しょうに愛読され文学的に正しく読まれていると認定しているかも知れないが「
大菩薩峠」や「出家とその弟子」や「宮本武蔵」が宗教的なふん囲気をもって熟読されて....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
がたいことで。……」 三月が経ち初秋となった。 甲州方面から武州へ入るには、
大菩薩峠を越し丹波川に添い、青梅から扇町谷、高萩村から阪戸宿、高阪宿と辿って行く....
「寺じまの記」より 著者:永井荷風
前、郵便局前。」というのに驚いて、あたりを見ると、右に灰色した大きな建物、左に『
大菩薩峠《だいぼさつとうげ》』の幟を飜す活動小屋が立っていて、煌々《こうこう》と....