天主堂[語句情報] » 天主堂

「天主堂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

天主堂の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
突貫紀行」より 著者:幸田露伴
土地の風俗温和にていやしからず。中学は東京の大学に似たれど、警察署は耶蘇《やそ》天主堂に似たり。ともかくも青森よりは遥《はるか》によろしく、戸数も多かるべし。肴....
長崎の印象」より 著者:宮本百合子
永山氏が多忙すぎる。数日の中にジャ※に出発されるところなのだ。福済寺、大浦、浦上天主堂への紹介を得、宿に帰った。 独りで待たされていたY、退屈しぬき、私の顔を....
長崎の一瞥」より 著者:宮本百合子
が、急に吹き降りの大粒な雨が落ちる。けれども、今日引こもっては、もう大浦、浦上の天主堂も見ずに仕舞わねばならない。其は残念だ。Y、天を睨み 「これだから貧棒旅行....
わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
るのだ。それは永遠のあこがれであつた。維新の折、キリスト教が復活して長崎の大浦に天主堂が許されたとき、三百年の潜伏信仰をつゞけてきた浦上の信徒達がひそかに教会を....
二合五勺に関する愛国的考察」より 著者:坂口安吾
じがする。 ところが幕末になって、欧米との交渉が再開し、日本在住の外人のために天主堂の建設が許されて、第一に横浜に、つぎに長崎の大浦に天主堂ができた。横浜のは....
博物誌」より 著者:岸田国士
に鉄の脚が一本ついている。そして、もう何年となく、今ではとても建てられそうもない天主堂の上で暮している。それはちょっと納屋みたいな建物で、その棟瓦の線はまず牛の....
悲願に就て」より 著者:坂口安吾
タンの島」。男気のすくない南国のキリシタン島へ一夜兵隊の一行が上陸し、街を通り、天主堂でもてなしを受け、そうして翌日帰っていった。洗礼を受け、つつましく生活して....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
シローテもそういう子孫の実在を信じてのことであった。元治二年(一八六五年)に大浦天主堂が落成した。これは在留の外国人のためのもので、日本人に伝道しては相成らんと....
長崎の鐘」より 著者:永井隆
さげ》の煙を上げ、山腹の段々畑はよく茂った藷の上に露をかがやかせている。東洋一の天主堂では、白いベールをかむった信者の群が、人の世の罪を懺悔《ざんげ》していた。....
ロザリオの鎖」より 著者:永井隆
うな思いにひたっていた。 私の一家の幸福な時間、それは日曜日の朝みんなそろって天主堂へミサ拝聴に参る時であった。私は大きな子の手をひき、妻は小さい子をおんぶし....