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「天平〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

天平の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
河口湖」より 著者:伊藤左千夫
ほんものに見る心持ちがした。富士のふもと野の霜枯れをたずねてきて、さびしい宿屋に天平式美人を見る、おおいにゆかいであった。 娘は、お中食のしたくいたしましょう....
金魚撩乱」より 著者:岡本かの子
げて、しばらくは身体も頭も見えない。やがてその中から小肥りの仏蘭西美人のような、天平の娘子のようにおっとりして雄大な、丸い銅と蛾眉を描いてやりたい眼と口とがぽっ....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
宮に催されるものであるという。 さらに案内記を調べると、今より一千一百余年前の天平勝宝年間に満巻上人という高僧が箱根権現の社に留まっていた。湖水の西の淵には九....
死者の書」より 著者:折口信夫
かったのである。 そう言う家々では、実例として恐しい証拠を挙げた。卅年も昔、――天平八年厳命が降って、何事も命令のはかばかしく行われぬのは、朝臣が先って行わぬか....
水の女」より 著者:折口信夫
を持っているのだ。人間に似たもののように伝えられていたのだ。この風土記の上られた天平五年には、その信仰伝承が衰微していたのであろう。だから儀式の現状を説く古の口....
夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
、推摩居士の本体が曝露されるに至ったのである。 寂光庵は、新薬師寺を髣髴とする天平建築だった。その物寂びた境域には、一面に菱が浮かんでいる真蒼な池の畔を過ぎて....
車中有感」より 著者:上村松園
考案されたのであろうが、姉の顔立ちと言い、妹の顔立ちと言い、横から眺めていると、天平時代の上※をみている感じで、とても清楚な趣きを示しているのであった。 色の....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
る煩多きがゆえに、一時これを廃して筑紫人を用いしが、辺防たちまちにして荒廃せり。天平神護二年の大宰府の「上言」に、 賊を防ぎ辺を戍るはもと東国の軍を資る、衆を....
芙蓉の花にも似た美しい楊貴妃を」より 著者:上村松園
この間中博物館へ通っていろいろ古い参考品を出して頂いて見て来ました。日本で申せば天平から奈良朝、あの時代の衣装や調度建築の様式で行く考えです。猶詩には春寒とあり....
国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
所といへり。○按に、国主・栗栖・国栖の三語は古人相通じて同義となせる如し。続紀『天平神護元年、名草郡大領紀直国栖』と云ふは、紀伊国神名帳『名草郡正一位紀氏栗栖大....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
云った。その和炭に対して炭竈で蒸し焼きに焼いた炭を荒炭と云い、荒炭和炭の名は既に天平時代の正倉院文書に往々見えている。石器時代の貝塚などからもしばしば木炭が発見....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
に、 時雨の雨間なくな降りそ紅に匂へる山の散らまく惜しも という歌がある。これは天平十一年冬十月に光明皇后の営まれた維摩講においてうたわれたもので、終日|大唐楽....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
西に下り、飽海郡から西海岸を迂回したものであった。それではあまりに不便とあって、天平年間にこの方面の蝦夷を征して雄勝の道を通じ、最上郡からただちに御物川の上流に....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
と云ってよろしい。したがって公民からは賤しいものとされておりましたが、奈良の御代天平十二年に、聖武天皇の詔によって、解放されて平民と同じ階級になりました。その詔....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
竟は家人、奴婢と、陵戸との三種となる。しかもその家人とは、奴婢の上級なるもので、天平十九年の「法隆寺資財帳」に、家人何口奴婢何口と区別して列挙し、しかもそれを総....