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「天部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

天部の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
綱二十法を心得ているわけでもないから、飯綱修法に関することは書かぬが、やはり他の天部夜叉部等の修法の如くに、相伝を得て、次第により如法に修するものであろう。東京....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
なわち仏の次に位する称号。地蔵、観音、勢至、文殊、普賢、虚空蔵などある。それから天部という。これは梵天、帝釈、弁天、吉祥天等。次は怒り物といって忿怒の形相をした....
死者の書」より 著者:折口信夫
こざをおし鎮める程に、人の心を浮き立たした。本朝出来の像としてはまず、此程物凄い天部の姿を拝んだことは、はじめてだ、と言うものもあった。神代の荒神たちも、こんな....
麦積山塑像の示唆するもの」より 著者:和辻哲郎
を思わせるあの仏像の様式について言えるのみならず、また戒壇院の四天王などのような天部像についても言えるであろう。表情を恐ろしく誇張して現わしながら、しかも嘘に陥....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
その由緒を書上げたのは享保四年である。京都に於いてはこれよりも先二年、町奉行から天部・六条・北小路等の由緒を書き上げしめた。この年に提出した天部の由緒の控えは今....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
からは南、賀茂川からは東に当って「あまべ」という一つの部落があります。文字には「天部」または「余部」とも書きまして、もとは皮田とも穢多とも言われておりました。こ....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
二百三十三人 川崎村 百三十八軒 五百九十人天部村 十七軒 七十一人 小島村 七軒 ....
特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
るそうである。もっとも中には部落外の寺院に檀徒たるものもないではない。例えば京都天部部落の旧年寄家松浦氏の一族が、浄土宗黒谷派城安寺を檀那寺と仰いでいるが如きそ....
特殊部落と細民部落・密集部落」より 著者:喜田貞吉
の傾向を大ならしめたものである。「雍州府志」によって「富めるもの多し」と呼ばれた天部部落の如き、明治四十年に於いて当時の京都府事務官補大森吉五郎氏の調査によるに....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
都河原町から寺町あたりにまで氾濫し、広く河原をなしていたものであった。そして今の天部部落は、もとこの鴨河原の住民で、後に四条河原の細工とも呼ばれ、やはりここで放....
編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
寓居しておった。したがってその付近にある旧悲田院の部落や、旧エタの頭村と言われた天部部落を通過する機会が多く、自然にその現状に通暁するに及んで、もとエタ非人と並....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
のお庭のお掃除役に、その名が遺っていたのとがある。御所のお庭のお掃除は、もと京の天部と呼ばれた部落から出て勤めたもので、それを古くから小法師と呼ぶ例であったが、....
融和促進」より 著者:喜田貞吉
春であったと記憶しますが、私が始めて京都大学の講師として赴任した年のこと、同地の天部の篤志家故竹中庄右衛門翁の家庭を訪うて、その所蔵の古文書を見せてもらい、その....