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太宗
「太宗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太宗の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の一人に加わっていた。 葬式が果てた後、亀吉は重兵衛のあとを尾けてゆくと、彼は
太宗寺の方角へ足を向けた。それは新宿の閻魔として有名の寺である。その寺に近いとこ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
、どんな所へでも身を躍らせてのぼるばかりか、十余歩ぐらいは飛んで行った。 唐の
太宗皇帝が彼に命じて長孫無忌(
太宗の重臣)の鞍を取って来いと言った。同時に無忌に....
「新版 放浪記」より 著者:林芙美子
て行くのですもの、早く私のカクメイでもおこさなくちゃなりません。
(六月×日)
太宗寺で、女給達の健康診断がある日だ。雨の中を、お由さんと時ちゃんと三人で行った....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
とて、此おもむきを御家老がたへ申上て、科人をゆるし給ひけり。 この語は、唐の
太宗が貞観六年|親《みずか》ら罪人を訊問し、罪死に当る大辟囚《だいへきしゅう》ら....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
第七の女は語る。 「五代を過ぎて宋に入りますと、まず第一に『太平広記』五百巻という大物がございます。但しこれは宋の
太宗の命によって、一種の政府事業として李※を小徐と言い伝えているそうでございます....
「悟浄出世」より 著者:中島敦
れかわり》、玄奘法師《げんじょうほうし》と、その二人の弟子どもじゃ。唐《とう》の
太宗皇帝《たいそうこうてい》の綸命《りんめい》を受け、天竺国《てんじくこく》大雷....
「日本脱出記」より 著者:大杉栄
も分らないので、真面目な顔をして聞いた。 「何故って君、唐世民だろう、あれは唐の
太宗の名で、日本で言えば豊臣秀吉とか徳川家康とかいうのと同じことじゃないか。が、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
侯の物とて、一から十まで盲信するわけにはゆかん。いったい、羲之の真蹟はすべて唐の
太宗《たいそう》が棺の中まで持ちこんで行ってしまったはずで、支那にも、もはや断簡....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
恩のために妾が百年の身をあやまつと云ったのも此の様な事を云うのであろう。彼の唐の
太宗の鄭仁基が娘を元観殿に入れようとした時に魏徴が貞女既に陸士に約せりと云ったの....
「風博士」より 著者:坂口安吾
の偉大なる業績に異論を説えたのである。彼は曰く、蒙古の欧州侵略は成吉思汗の後継者
太宗の事蹟にかかり、成吉思汗の死後十年の後に当る、と。実に何たる愚論浅識であろう....
「迷信解」より 著者:井上円了
陣し、関ヶ原の勝利を得たりしことは『小学修身書』に出ておるが、これと同じく、唐の
太宗は出陣のときに凶日をおかして勝利を得たる話がある。すなわち、
太宗出陣のときに....
「二階から」より 著者:岡本綺堂
こらの一角とは没交渉で、新宿行の電車が満員の札をかけて忙がしそうに走るのを見て、
太宗寺の御閻魔様の御繁昌を窃かに占うに過ぎません。 家々に飼犬が多いに引替えて....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
に入れられたソンツァン・ガムボという大王が、まだ仏教を信じない時分にシナから唐の
太宗の皇女なる文成公主を娶ることになったその時分に、文成公主はその父の
太宗に願う....
「良寛様の書」より 著者:北大路魯山人
といっても王羲之であり、その前後の類品である。その以後に気の利いたものを拾えば唐
太宗である。含蓄あるものを求むるとせば顔魯公である。良寛様はその書の長所をこの辺....
「『西遊記』の夢」より 著者:中谷宇吉郎
て見えた。そして孫悟空《そんごくう》のいた時代がそう遠い昔とは感ぜられなかった。
太宗《たいそう》皇帝の水陸大会《だいせがき》に、玄奘法師《げんじょうほうし》の錦....