太祖[語句情報] »
太祖
「太祖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
太祖の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
るに眥《まなじり》裂け血出|濺《そそ》ぐ、虎ついにあえて動かず。『周書』に楊忠周
太祖竜門の狩に随うた時独り一虎に当り、左にその腰を挟み右にその舌を抜く、小説には....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
『後魏書《こうぎしょ》』、兎あり後宮に入る、門官検問するに従って入るを得るなし、
太祖|崔浩《さいこう》をしてその咎徴《きゅうちょう》を推せしむ、浩|以為《おもえ....
「運命」より 著者:幸田露伴
て後|纔に奇なり、造物|爺々の施為は真にして且更に奇なり。 明の建文皇帝は実に
太祖高皇帝に継いで位に即きたまえり。時に洪武三十一年|閏五月なり。すなわち詔して....
「ルバイヤート」より 著者:小川亮作
5 ケイカーウス――神話時代のイランの第二王朝であるケイアニイ朝第二世の帝王で、
太祖ケイコバードの子。 〃 鈴の音――古代イランでは、帝王の出御するときに鈴を振....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
、河南の尹を勤めている張全義という人に尊敬されていましたが、あるとき張全義が梁の
太祖と一緒に食事をしている際に、
太祖は魚の鱠が食いたいと言い出しました。 「よろ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
洛陽の御所は隋唐五代の故宮である。その後にもここに都するの議がおこって、宋の
太祖の開宝末年に一度行幸の事があったが、何分にも古御所に怪異が多く、又その上に霖....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ゆるか、後代の小説に係るか只今調べ得ぬは遺憾だ。ただし『淵鑑類函』三〇九に〈初め
太祖故人呂伯奢を過るや云々〉とあれば呂伯奢という人があったに論なし。 さてこの....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
では兎の年に俺が生まれた、馬の年に隣りの七兵衛が妻を娶ったなどいう。邱処機が元の
太祖に奏した疏《そ》に竜児の年三月日奏すとあり、元の時泰山に立てた碑に泰定鼠児の....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
に做い。自己を節して費用を省き。天下の民寒き者多し独り温煖ならんやと曰いし。宋の
太祖が大度を慕い。普く慈善を施せしも。始め蛍の資本より。炭も焼べき大竈と成りし始....
「雪女」より 著者:岡本綺堂
じめてその説明を李太郎の口から聞かされた。 今から三百年ほどの昔であろう。清の
太祖が遼東一帯の地を斬り従えて、瀋陽――今の奉天――に都を建てた当時のことである....
「迷信解」より 著者:井上円了
の定まりあるわけなし、すべてわが方に吉凶の別があるのじゃ。今一例を挙ぐれば、明の
太祖が天下を一統したる後に、
太祖と年月日時を同じくして生まれたるものは、いかなる....
「三国志」より 著者:吉川英治
。けれどそれを以て言外のものを察しるならば、わが子を帝位に即かせて、自分は歴朝の
太祖として崇められてゆけば満足である、という意は充分にあるらしくうかがわれた。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
人に帰す。桓帝、霊帝このかた、四海わかれて争い、群雄みな覇王を僭称す。ひとりわが
太祖武帝、民をいつくしみ、六合をはらい清め、八|荒を蓆のごとく捲いて、ついに大魏....