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奏聞
「奏聞〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
奏聞の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
如親王となん申しき、弘法大師に随いて真言宗を極めたまえり、貞観《じょうがん》三年
奏聞を経《へ》唐に渡りここには明師なしとて天竺に渡る、唐土の帝渡天の志を感じて多....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
去った。二人の僧は熊に啖われたと見えて、骸骨をあらわして死んでいた。 帝はその
奏聞を得て大いに笑った。すぐに寧王のもとへその事を知らせてやって、君はかの悪僧ら....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
って、この人たちが堀河の典侍を動かした。堀河の典侍は帝の寵妃であるから、この人の
奏聞には帝も御耳を傾けられた。宮様には固く辞して応ずる気色もなかったが、だんだん....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、しかも帝と将軍とは義理ある御兄弟の間柄でもある、必ず京都へ上られて親しく事情を
奏聞の後でなければ敬意を欠く、ぜひともしばらく思いとどまって進退完全の処置なくて....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の初めにあたり、非常多難の時に際会し、深く恐懼と思慮とを加え、天下の公論をもつて
奏聞に及び、今般の事件を御決定になった次第である、かつ、国内もまだ定まらない上に....
「蓮花公主」より 著者:田中貢太郎
に遷れよ云云。 竇は読み畢って顔の色が土のようになった。その時宮女が奔って来て
奏聞した。 「妖物がまいりました。」 宮殿の中は哀しそうに泣く泣き声で満たされ....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
め、大政奉還の議を諮詢した。その結果翌十四日、いよいよ大政奉還の旨を朝廷へ対して
奏聞した。一日置いた十六日朝廷これを嘉納した。つづいて同月二十四日、慶喜は更に将....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
執ったる国書を持来たすとは! そこで「これより後蛮夷の礼を失するものあらば、之を
奏聞すること勿れ」と侍臣に言渡したほどであった。 ところが聖徳太子様の御見解は....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
て、その数はやくも一千に及び、今さらこれをいかんともすることが出来ない。このこと
奏聞を経ていまだ勅許を得ないとはいえ、軍中にあっては将軍の令を聞き、天子の詔を聞....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
政治家だった。だがこの交換は幕府にとって大額の赤字になった。京都に奏上して「政道
奏聞に不及《およばざ》」る祖法を覆えしたこと、同じく各藩論を従前通り無視する代り....
「法然行伝」より 著者:中里介山
うたので、定照愈々憤りを増し、事を山門にふれて、衆徒の蜂起をすすめ、貫首に訴え、
奏聞を経て隆寛幸西等を流罪にしその上に法然の大谷の墓をあばいて、その遺骨を加茂川....
「ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
いまする、
このお知らせのような、最上の幸福と申すべき
お知らせを、御前で喜んで
奏聞いたすことが
わたくしの生涯にあろうとは存じませんでした。
借財は皆片附けま....
「頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
れて京都行きを命ぜられた。それは実朝の御台を迎えに往くためであった。実朝の御台は
奏聞を経て、坊門大納言信清卿の息女を迎えることになったので、鎌倉では容儀花麗の壮....
「三国志」より 著者:吉川英治
公平な点ばかりでなく、嘆くべきことが実に多い。――貴君のことについては、特に帝へ
奏聞しておこう。そのうちに明朗な恩浴をこうむることもあろうから、まあ気を腐らせず....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
の掃除役なる散所法師を、法勝寺の土工に使役しようとしたことについての抗議に対し、
奏聞を経てさらに命じたものである。彼らは東寺境外信濃小路通猪熊の西頬一町の地に住....