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好事家
「好事家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
好事家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
かし、どうして持ち出されたのか、その碁盤だけは無事に残っていて、それからそれへと
好事家の手に渡ったのちに、深川六間堀の柘榴伊勢屋という質屋の庫に納まっていました....
「死の快走船」より 著者:大阪圭吉
事件に興味を覚えるよ」 そう云って彼は、私の肩に手をかけた。 本来私は、余り
好事家のほうではないつもりだが、東屋氏にこう誘われると、どうしたものか理性より先....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
こう突込んだ調査をした者がなかったのだが、偶然四人の出生地から身分まで調べ上げた
好事家を、僕は合衆国で発見したのだ。恐らくこれが、あの四人に関する唯一の資料と云....
「画学校時代」より 著者:上村松園
月並展覧会が、今の弥栄倶楽部の辺にあった有楽館でひらかれましたが、世話人がお寺や
好事家から借りて来た逸品の絵を参考として並べましたので、私には大変いい参考になっ....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
じます」 「お前ひとつ探してはどうか」 「は。さようで。探し出しましょうか」 「
好事家で名高いお前のことだ。探し出したらはなすまいよ」 「いえ、ご連枝様に差し上....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
ともなくこの伝説は人々の頭から忘れられてしまった。しかしもちろん多くの画家やまた
好事家の間では、慾の深い伝説は別として信輔筆の六歌仙は名作として評判され、手を尽....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
に居た尚古堂が「拝見」と云って受け取った。 尚古堂は本姓を本居信久、当時一流の
好事家で、海舟の屋敷へ出入りをしていた。 じっと壺に見入ったが、 「や、これは....
「銀三十枚」より 著者:国枝史郎
下さるまいか。お見せしたい物がありますので、恐らくお気にも入りましょう。実は私は
好事家でしてな、その方面ではかなり広く、海外へも参って居りますので。相当珍品も集....
「あるニュウ・フェイスへの手紙」より 著者:岸田国士
る「美」は、ほかの芸術の領域にはないと、僕は思います。従って、俳優なら、批評家や
好事家の註釈やおせっかいはちっとも必要でないばかりでなく、最も正しく、かつ厳しい....
「起ち上る大阪」より 著者:織田作之助
者は罹炎に屈せず、直ちにこの国宝芸術の復活に乗りだしたのである。即ち、まず民間の
好事家の手元に残っている人形を狩り集め、足らぬ分は阿波の人形師が腕によりを掛けて....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
として浅草誓願寺前|茗荷屋九兵衛の名が見える。みょうが屋の商牌は今でも残っていて
好事家間に珍重されてるから、享保頃には相応に流行っていたものであろう。二代目喜兵....
「冷かされた桃割娘」より 著者:上村松園
毎月十一日に集まって、和やかに色んな話をしたものです。その席上でも必ずお寺や町の
好事家から昔の名画を参考品に七、八点出されるのが例になっており、それを一生懸命写....
「近作鉢の会に一言」より 著者:北大路魯山人
て存在しています。なお個人作家としては仁清、乾山、木米等もっとも崇敬の的となり、
好事家識者の間に重きをなしております。 しかしながら現今はと見渡しますと、実は....
「素人製陶本窯を築くべからず」より 著者:北大路魯山人
のごとく見、かつ画学生の力をもって仁清の深遠なる絢爛をやすやすと生み出し、多くの
好事家、鑑賞家、愛陶家をしてアッと讃歎せしめんものと、潜行的野望を懐かれた窯であ....
「活人形」より 著者:泉鏡花
囁きて、その計略を告げ、一臂の力を添えられんことを求めしかば、件の滑稽翁|兼たり
好事家、手足を舞わして奇絶妙と称し、両膚脱ぎて向う鉢巻、用意は好きぞやらかせと、....