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妙法院
「妙法院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
妙法院の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
智積院、真宗の両|本願寺、禅宗の南禅寺や妙心寺や大徳寺、時宗の歓喜光寺、天台宗の
妙法院や延暦寺。加うるに由緒の深い寺刹がどれだけあるでありましょうか。従ってそれ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、宗良。 大塔ノ宮よりは、三ツ下の二十一歳で、前年、兄宮が退いたあとをうけて、
妙法院から入山され、現在の天台座主として本院にいる。 もとより、皇子二人までを....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
はない。――彼が後宇多院に仕えていたころは、宮もまだお稚ない皇子だったが、やがて
妙法院へ入られ、叡山の座主につかれた後も、歌の会などでは、しばしばお目にかかって....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
がい、総勢は約七千余騎。 同日。 阿曾ノ宮は、山伏姿となって吉野の奥へ奔り、
妙法院ノ宮|宗良は、湖を渡って、遠江方面へ落ちてゆかれた。――すべて離散の人もみ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
な風流|行装で、小鷹狩りの帰りを、佐々木道誉、秀綱の父子が、従者大勢と共に東山の
妙法院のそとを通りかけた。 みな酔っていたにちがいあるまい。でなければ酔狂すぎ....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
文三年に至り、市内整理の為に右の六条河原に移ったのであったが、さらに正徳二年に、
妙法院に於いてこの地が入用とあって、
妙法院領七条お土居以南の高瀬川付近に地を点定....