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子規
「子規〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
子規の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「秋山図」より 著者:芥川竜之介
氏の家を訪れる暇《ひま》がありません。私は翁の書を袖《そで》にしたなり、とうとう
子規《ほととぎす》が啼《な》くようになるまで、秋山《しゅうざん》を尋ねずにしまい....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
るなどとは、あの頃全く思わざりしが……。 ◯臥床中読みたるもの、左の如し 一、
子規著「仰臥漫録」その他 二、寺田(寅彦)先生「地球物理学」 三、Minut....
「死生」より 著者:幸徳秋水
け次第で、決して為し難いことではないのである。 不幸短命にして病死しても、正岡
子規君や清沢満之君の如く、餓死しても伯夷や杜少陵の如く、凍死しても深艸少将の如く....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
で、けっしてなしがたいことではないのである。 不幸、短命にして病死しても、正岡
子規君や清沢満之君のごとく、餓しても伯夷や杜少陵のごとく、凍死しても深草少将のご....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
故正岡
子規先生の『仰臥漫録』は、私の精神生活にはなくてかなわぬ書物の一つであった。 『....
「芸術上の心得」より 著者:倉田百三
けぬ人が絶え間なく刻苦するのが一番いいらしい。アララギ派の元素伊藤左千夫氏は正岡
子規の弟子のうち一番鈍才であったが、刻苦のために一番偉くなった。 一、よく考えて....
「カタカナニツイテ」より 著者:伊丹万作
ナル。シカルニカタカナトヒラガナトデハ、力ノ消費ガ非常ニ違ウノデアル。コノコトハ
子規ノ書イタモノニカタカナ文ガ多イコトヤ、宮沢賢治ノ病中作デアル「雨ニモ負ケズ」....
「鴉片を喫む美少年」より 著者:国枝史郎
柳の花のよさは、何と云ったらよいだろう! 詩人李白が詠ったっけ。―― 楊花落尽
子規啼。 聞道竜標過五渓。 我寄愁心与明月。 随風直到夜郎西。 詩人王維も詠っ....
「明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
らない。たゞ、それらの文学と深い関係のある、或る意味ではその先覚者と目される正岡
子規の、日清戦争に従軍した際の句に、 行かばわれ筆の花散る処まで いくさかな、わ....
「歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
う――性癖からして、『赤光』時代には概念となり、谷崎潤一郎の前型と現れた。 正岡
子規に戻って見る。この野心に充ちた気分からは、意識的に動きそうに見えながら、態度....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
を極めているので、人の眼を強く惹き付けたのであった。 春雨や傘さして見る絵双紙屋
子規 こういう風情は現代の若い人たちには十分に会得されまいと思う。それから歳の....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
月落烏啼霜満天寒さ哉――息を切らずに御読下し被下度候」と書いてあった。当時は正岡
子規がマダ学生で世間に顔出しせず、紅葉が淡島寒月にかぶれて「稲妻や二尺八寸ソリャ....
「広告」より 著者:伊丹万作
間近に迫つて来ていることを知つて驚きもし、歓びもした。 私は中村の著書の中に、
子規以来始めて「俳句」を見た。 もつと遠慮なくいえば芭蕉以後、芭蕉に肉迫せんと....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
時代からある。しかし一般にいい出されたのは賀茂真淵がほめてからであり、更には正岡
子規がほめてからである。斎藤茂吉博士の『金槐集私鈔』をはじめとして、その後の多数....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
するのはちょっと変だね。写生は普遍化された語義としてはやはり単なる写生だからね。
子規の写生にしてからが、空想味の深い浪漫的な詩歌に対しての写生説だったんだからね....