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学寮
「学寮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
学寮の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古代国語の音韻に就いて」より 著者:橋本進吉
りますから、漢文の読み方を学ぶ場合には支那音で発音しておったと思われます。現に大
学寮に支那人が来ておったのでありますから、そういうことはあったと思います。かよう....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
とばでござりますゆえ、どうぞごゆるりとおくつろぎくださりませ」 さすがは忍ガ岡
学寮の青道心です。早くも名人の不審なふるまいをそれと看破したとみえて、まもなくそ....
「流行暗殺節」より 著者:佐々木味津三
いて、直人も、のそのそと二階へあがった。 敷地の選定もきまり、兵器廠と一緒に兵
学寮創設の案を立てて、その設計図の調製を終った大村はほっとした気持でくつろぎ乍ら....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
二十三 宇治山田の米友は、夜になって、その宿所なる小石川の伝通院の
学寮へ帰って来ました。現在の米友の仕事は、ここで、雑巾《ぞうきん》がけをするだけ....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
りし夜、亥の時ばかり、都の巽より火出で来りて、乾に至る。はては朱雀門、大極殿、大
学寮、民部省まで移りて、一夜の程に塵灰となりにき。火本は樋口富小路とかや、病人を....
「世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
て、わたしの腕をとって連れ出してくれました。わたしはもう誰かに扶けられないでは、
学寮へ帰ることが出来ないくらいでした。 町の角で、わたしの若い友達が何かよその....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
のだった。 六月末頃になって、恭一からはじめてかなり分厚な手紙が来た。それには
学寮生活の様子がこまごまと記してあり、 「ここでは舎監と生徒との関係よりも、生徒....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
った。大沢もそれにはおりおり口をはさんだ。しかし、主として話したのは恭一だった。
学寮における自治生活の話がその大部分で、自主的に、いろいろの面から共同生活を建設....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
はり打ちやめなかった。そして、相変わらず板木に眼をすえ、 「ぼくたち、学生時代の
学寮生活を自治だなんていって、いばっていたものですが、本気にやろうとすると、実際....
「田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
《うつむ》いてしまった。 と、片側の赤|煉瓦《れんが》の、寮舎――ニコライ寺の
学寮――の窓から、讃美歌が洩《も》れて来て、オルガンの合奏もきこえだしたので、美....
「なよたけ」より 著者:加藤道夫
伴ノ宿禰御行! 綾麻呂 あるいはまた、その一人息子、文麻呂の出世を妨げんとて、大
学寮内よりこれを追放し、より条件の悪い別曹、修学院などへと転校せしとめたる我等が....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
霊を祀る地とした。当時の増上寺は境内十八万坪、数十の大建築物棟を並べ、いくつもの
学寮を創設し、また関東地方一帯の戸籍の総録所も置いた。これは、いまの戸籍役場の元....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
所絵と参照して僅にその当時の光景を保つものを求めたならば、虎の門に残っている旧工
学寮の煉瓦造、九段坂上の燈明台《とうみょうだい》、日本銀行前なる常盤橋《ときわば....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
て特別の名に呼ばれた事と見えます。余戸は諸国にあるのみではありません。昔の京の大
学寮の古図を見ますと、その敷地の西北隅に一区画をなして、「余戸」と書いてあります....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
らず、京都の大きな官署内にも寓居して、雑工・駆使・掃除等に従事していたことは、大
学寮の古図に余戸の一区が画されているのによって察せられる。南北朝から室町時代の文....