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「学院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

学院の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或る女」より 著者:有島武郎
て御覧にいれますから、どうかお構いなさらずにくださいまし。それは赤坂《あかさか》学院も立派な学校には違いございますまい。現在私もおばさまのお世話であすこで育てて....
弓町より」より 著者:石川啄木
粛《げんしゅく》な態度をもたねばならぬ。 すこし別なことではあるが、先ごろ青山学院で監督か何かしていたある外国婦人が死んだ。その婦人は三十何年間日本にいて、平....
婦系図」より 著者:泉鏡花
る河野家の学問所、桐楊塾の楊の字は、菅子あって、択ばれたものかも知れぬ。で、某女学院出の才媛である。 当時、女学校の廊下を、紅色の緒のたった、襲裏の上穿草履で....
赤外線男」より 著者:海野十三
作にとりかかった。 それは丁度新学期であった。この研究所内も上級の大学生や、大学院学生、さては助手などの配属の変更があって、ゴッタがえしをしていた。 赤外線....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
なる事かと心配していると、案外早く電気が来て、また動き出す。 清正公前から明治学院の前を通り、五反田へ向かって電車は闇をついて走る。あぶなかしくもあり、何とな....
金属人間」より 著者:海野十三
》の四人は、戦争中に疎開先《そかいさき》で戦災《せんさい》にあって死に、東京で大学院学生兼助手をして残っていた、かれ左馬太だけが生き残っているのである。そういう....
古狢」より 著者:泉鏡花
いか、談話中の市場を髣髴した。 縦通りを真直ぐに、中六を突切って、左へ――女子学院の塀に添って、あれから、帰宅の途を、再び中六へ向って、順に引返すと、また向う....
白金之絵図」より 著者:泉鏡花
ろう。町も世界も離れたような、一廓の蒼空に、老人がいわゆる緑青色の鳶の舞う聖心女学院、西暦を算して紀元幾千年めかに相当する時、その一部分が武蔵野の丘に開いた新開....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
、特に感謝します、結構です。」 「あの、番町さん。私あの辺を知っていますわ。――学院の出ですもの。」 「ほう、すると英学者だ、そのお酌では恐縮です、が超恐縮で、....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
出るときはあらかじめ伊藤に依頼していつしよに棲む部屋を借りておいてもらつた。青山学院の近所、少し渋谷の方へ寄つたほうで八畳か十畳の二階であつた。 その時分には....
キド効果」より 著者:海野十三
と木戸博士は首を左右に振った。「この興奮曲線を取るには非常な熟練が要るのじゃ。大学院を出てきた君にすら、こうはうまく取れない筈じゃ」 理学士の称号を貰い、三年....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
が、その報酬は何ほどのものでもないから生活を補う資にはならなかった。 今の女子学院の前身の桜井女学校に聘されて文学を講述したのもこの時代であった。ツイ先頃|欧....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
出張所長今村恵猛氏の主催なり。当夕は赤井氏宅にて晩餐を饗せらる。食後、さらに中央学院に至りて妖怪研究の結果を演述す。聴衆満堂約三百名に及ぶ。勝又英次郎氏その校長....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ならこのときに当然辞職するところであるが軍人にはその自由がない。昭和十三年、大同学院から国防に関する講演を依託されて「戦争史大観」をテキストとすることとなり若干....
色盲検査表の話」より 著者:石原忍
ったかということについて簡単に申し上げましょう。 今からおよそ三十年前、私が大学院に在学いたしました時に、私は一人の全色盲の患者を検査して、その成績を眼科学会....